2022年12月9日(金) 言葉で作る音楽があるのかもしれない、一文のテンポとスピード感について

 お風呂に入りました。

 もう治りましたが、湯船でくらっとするくらい長く入っていたのでちょっと脱力しすぎて手が重い。頑張ってタイプしているのに人差し指に力が入らなくてさっきからnの入力がうまくいかない。水を飲もう。


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 おやつを食べながら萩原朔美さんが出演していた視点・論点の録画を見た。

 萩原朔美曰く、詩は音楽で意味ではないとのこと。
 わたしも下手の横好きという感じでいくつか詩を書いたことがあるけれど、そういえば言葉の意味ばかり追っていたような気がします。

 散文は言葉が手段で、詩は言葉が目的。
 人の心を完全に表現するとしたら、言葉は役に立たずただ音楽と詩があるだけ。

 うーん、朔太郎の言葉を理解したいしわたし自身も詩人になりたいと思うけれど、正直に言うとわたしは全く根本のところを理解できていない気がする。理解したいという気持ちが本当の意味でわかることを妨げている気がする。
 朔太郎の孫でありながら詩が全くわからんって言えた萩原朔美はすごい勇気のある人じゃないだろうか。

 それにしても、朔太郎が亡くなって今年で80年となる中でその人の孫が未だに朔太郎に関する仕事をしているってすごいな。


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 言葉と音楽といえば。

 今若松英輔さんやさくらももこさんの本を読んでいたんですが、自分も文章を書くので句読点の位置に注目しながら読んでみた。
 そしたら少ない。句読点が。

 自分が文章を書くときは意味がちゃんと伝わらないんじゃないかと思って沢山言葉を区切っていた。でも職業作家たちの文章だと句読点が一文の中に全く入っていないかせいぜい1つくらい。
 だから一文一文が途切れず、すごいスピードでテンポよく頭に入ってくる。

 なるほど文章を読みやすくするためには文が頭に入ってくるテンポやスピード感も大切なのかもしれない。
 つまりこれは言葉の音楽か。


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 今読んでいる本、一見自分の人生と遠いテーマのエッセイのような気がするんだけどなぜか泣いてしまう。

 言葉の意味ではなく、言葉によって作られた詩と音楽の働きに涙がこぼれている気がする。

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氷の心臓
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