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ワーホリを決意した理由
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二人でマーケットで刺身食べて海でチルして、とってもいい思い出。
みなさん、こんにちは。
世界で活躍できるスーパー保育士を目指すAya :)です。
今日は私がワーホリを決意した理由を綴ろうと思います。
大学卒業後
私は大学を卒業してから5年間、児童養護施設で働いていました。
2年間は小学校高学年、そう思春期真っ只中の女の子の担当をしました。
その後、1年間はフリー職員として全ホームに入らせてもらいました。
最後の2年間は小学校低学年のやんちゃな男の子の担当をしました。
実は私は女児ホームを担当をしていた時に、不適切な対応をしたことで大きな問題になりました。
詳細を書くと児童や施設が特定される可能性があるため、説明できないのですが、故意ではなくハプニングでした。
直接的に手を加えた行為ではなく、私の対応が結果的に児童の心を傷つける対応であり、不適切であると認定されたのです。
その後、私は女児ホームに入れなくなり、フリー職員となりました。フリー職員の際には人権擁護の研修を多く受け、全ホームの養育を学びました。
ホームリーダーによって優先される物事が違い、施設での養育方針が一緒だったとしても雰囲気や子どもや後輩職員の育て方が全く違いました。
辞職・・・?
正直このタイミングで誰もが私が辞職するだろうと考えていました。でも私はそれを選びたくなかった。
私は社会福祉士という国家資格を持っていたため辞めても再就職はすぐにできることはわかっていました。
でもここで辞めても同じような問題がきっと私に立ちはだかる。ここで乗り越えなくてはならない。
また理由もわからず私が急に担当を下ろされ、ホームに入れなくなった挙句、辞めていったとしたら子ども達、特に担当していた児童はどんな気持ちになるだろうか?
「やっぱり仕事なんだ」と思われることがすごく嫌でした。不適切な対応と認定を受けましたが、私は本気で子ども達を人として愛していました。
仕事だけど仕事ではなく、本当に思っていることが伝わってほしいという思いで出勤を続けました。
3年経って女児ホームには戻れるようになりました。担当だった児童はずっと私のことを信じてくれていて、園長にまた私と「一緒に過ごしたい」と掛け合ってくれていたようです。
私も3年かけて自分の至らなかった部分を省み、自分自身を向上させました。
恋人との別れ
仕事での自分への信頼を取り戻し、環境が安定してきた頃、私はプライベートで大きな問題を起こします。
これに関してはまた別の記事で書こうと思うため、詳細は省きます。
私の行動が原因となり、6年半ほどお付き合いしていた男性と別れることになるのです。
結婚も見据え、同棲までしていましたが、私たちは別れることとなりました。
破局後
結婚という道がなくなり、仕事もある程度学びきったというより信頼を取り戻し切った。
女児ホームにも戻れ、失った時間を取り返すように過ごすことができた。
日本にいる理由がないなと思いました。
恋人と別れた後、私は一人で過ごす練習を始めました。20歳の時から常に一緒に元恋人が一緒にいてくれたため、自分で自分を満たすという行為をしていませんでした。
誰かがいないと幸せに思えないなんて、キリがないし、自分で自分を満たせるようになりたいと思い、一人旅を始めます。
一人旅
私には小学校からの親友がいます。中二で彼女は引っ越してしまいましたが、アラサーの今でも電話をするほど仲がいいです。
その親友はスポーツをやっていてその頃から海外に試合でよく行っており、オーストラリアでのワーホリも18歳の時に経験していました。
親友は千葉に住んでいたため、一人旅はその友達に会いに行くことにしました。私は大阪から一人で夜行バスに乗って会いに行きました。普通のことかもしれないけど、当時の私にとっては挑戦でした・・・。
親友と親友の彼氏の言葉
私と会って、恋人と色々あって別れたことを知った親友は私に、
「今のAya :)にはワーホリが必要やと思う。今やん絶対」
と言いました。海外に行くと自分の価値観が真からぶっ壊れる。それでも私は海外に行くほどの費用コストや時間コストを捧ごうと思えませんでした。
全く興味がなかった。
そして親友の彼氏はドイツ人でした。ドイツ人だけど千葉にいる。だけどもうすぐニュージーランドに移住すると言っていました。
「僕は住みたい場所を選んで住んでいる」
一見、当たり前に誰もがしているように聞こえるこの言葉だが、私にとってそれは信じられない考え方でした。
大阪で生まれて育って、学校も家から通える範囲で学力が合う興味がある分野がある場所を選びました。
必然的に大阪でした。その場所しか知らないから。他の場所を見ようとか移動しようとか思ったこともありませんでした。
「すごいな」
と思いました。自分で自分の住みたい場所を選んで住んでいるなんて、
「かっこいい」
と思いました。私はドイツ人の彼の言葉に感銘を受けたことを親友に伝えました。親友は私にこの言葉をくれました。
「私もね、綺麗な海が近くにあればそれでいいねん。それで心が癒されるねん。ただそれだけ。それを求めて色々住む場所、国、決めてるんやで」
と言っていました。
漢字検定
急に漢字検定?と思ったと思います。(笑)
ずっと一緒にいてくれた元恋人と別れてから一人で時間を過ごすことを練習していた私は勉強を始めることにしたのでした。
それが漢字検定2級です。暇になれば漢字検定2級の勉強に没頭しました。そして自分で試験に申し込み、合格しました。
自分の力で勉強し、自分で全て手続きを済ませて行えた試験に合格したことで、すごく嬉しい気持ちと達成感と自信に包まれました。
そしてまた新しい勉強をして自分に自信をつけたいと思い、選んだのが
「英語」でした。
自分で決めるということ
親友の言葉や恋人との別れから一人で過ごす練習をしていた私、仕事での信頼も取り戻していたタイミングで、やっと心から
「英語を学んで色々な価値観を知りたい」
と思うようになりました。
英語が学べたら
外国人と話せる
英語の音楽や映画をそのまま受け取れる
自分の心の感情域が増えると思いました。外国で住むことで、当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくなる。
今までは心の中に持っている器の中身を増やしていっていたけど、器の形ごと変わるみたいな感じ。
音楽も映画も日本語訳の文字や吹き替えじゃなくて、そのままの意味や演技を受け取ることができる。
外国で住んで色々考え方が変わったり、たくさんの新しい価値観を学んだ後、子ども達に教えられる、アドバイスできることが増えると思いました。
私の最終ゴールは「全ての人の子ども時代が豊かである」ということ。子育てに正解がない分、子ども達、人によって正解が違うということです。
私の中で受け入れられる、既に知っている価値観が増えることは、子ども達に対してそれだけ受け入れられる、提案できることが増えるということ。
理由なんてなくていい
そういえば親友はあの時、こうも言っていました。
「ワーホリに理由なんかいらんで。とりあえず来たらいいねん。理由なんか後からできるねんから。悩んでいる時間がもったいないで」
ワーホリに来る理由なんでいらないのです。
今の私はこの理由があるからというより、色々なことが重なってワーホリに行くことを決めました。
誰かに言われたからとかでなく、自分自身で「ワーホリに行く」と決めました。
自分で決めるということ、今までの私はなかなかできていなかったと思います。
誰かの意見に左右されたり、責任を誰かに背負ってもらっていたり、元恋人と別れてから少しずつ自分のことを自分で決められるようになって、
「自立」
していったなぁと感じます。
変化
ここで私はあることに気が付きます。少し前に親友の彼氏から言われた言葉、
「僕は住みたい場所を選んで住んでいる」
当時は考えにも及ばなかったこの言葉。今、私は住みたい国を選んで住んでいます。この言葉を聞いた当時はワーホリを勧められてもなんだか気が乗らなかった。
決断できなかったんです。
でも今は自分で決めてメルボルンにいます。
「変わったなぁ」
「変われたなぁ」
と思います。
子ども達に対して
とにかく自分で決めることが大事。子ども達に対しても同じです。いくら保護者側が「こうがいい」、「ああがいい」と決めてレールを用意しても子ども達が心から「こうしたい」と決断しなければ変えることはできません。
私が経験しました。多分、みなさんも似たような経験があることでしょう。
私がワーホリに至った理由は以上です。
それではまた覗きに来てくださいね。バイバーイ✋
Aya :)