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親が子どものあるがままを認証するにはまず親自身が自分を認証する必要がある

私のページをご訪問くださいましてありがとうございます。

医学部医学科卒の精神医療従事者にして、趣味で自作曲をYouTubeYouTube Music上にアップしているKoki Kobayashiと申します。

先日お書きした「発達障害を持つ子の潜在能力を汲み上げて育む療育的家庭学習の試み(愛着編)」の記事の中で、私は心ならずも「親御さんが心のゆとりを持つにはどうしたらいいのか」ということについて、論旨を展開することが出来ませんでした。

現代の日本の親御さんがこころのゆとりを持つということは、なかなか大変な作業です。しかし、このお話を避けては、こんにちの育児の難しさの根源に迫ることはできません。

今日はまず初めに、現代病とも言える境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)と乳幼児の共通点についてお話するとともに、キレやすい現代人と境界性パーソナリティ障害の関係性についてお話いたします。

そして次回は、子どもさんや親御さんがご自身や重要な他者に対して適切な愛着を取り戻すための「認証(validation)」という精神医学的な精神療法のメソッドについて詳しくお話します。

そしてそのお話を踏まえて、その次のお話では、現代人が常に他者の眼差しに絡め取られて、ほかの子と比較されたり否定されたりしながら育ってきている傾向があることと、そのことが現代の日本人の自己肯定感(self-esteem)を必要以上に下げていることについて、さらに詳細に分かち合いたいと思います。

「親御さんがいかにしてこころのゆとりを取り戻すか」のシリーズの最終話においては、森田療法弁証法的行動療法(DBT)に観られる「ひとのあるがまま受容する」ことが親御さんや子どもの傷ついた心を癒すことと、ひとの「あるがまま」を受容することが「認証(validation)」に直結する要素であり、ひとと人とが互いにその「あるがまま」を認証し合うことの中にこそ、実は子育ての難しさを解きほぐす可能性があるとまとめていきます。

それでは今日もどうかよろしくお願いします(*^^*)


キレやすくなった現代日本人

親御さんたちに限らず、現代の日本社会では、特に都市部において、多くの人たちがこころのゆとりを失い、ストレスに対するキャパシティが極めて脆弱になっていると指摘されて久しいですね。

私は横浜市の郊外に暮らしていますので、一応都市圏内で生活している者のひとりということになりますが、その私でさえ、最近は横浜駅周辺や東京都内に行くことに少し怖さを覚えるほど都市部の人々がキレやすくなったなぁと痛感しています(^^;

これまで私は、子育てや親自身の育自における地縁社会資源の人たちとの心通う連携の大切さについて言及する記事をお書きして参りました。

しかしながら、特に都市部の人達には、幼少時からある意味で洗脳的な教育に浸らされて、常にほかの人と比較されつつ、他者と必要以上に競争させられながら育ってきている傾向が顕著にみられます。

「誰それちゃんはテストがあんなにいい点数だったのに、あんたって子は駄目ね…」とか、「あんたは誰それと比べて可愛くない」とかと言った親きょうだいやおとな達からの否定侵入にさらされて、こころの境界線(boundary)を踏みにじられるように破壊されて育っている人は、都市部では決して珍しくないのです。

偏差値と言う化け物に踊らされている現行の教育体制は、親子にとっても教師にとっても、過剰な負担と心労と疲弊をもたらしている呪縛に満ちています。

境界性パーソナリティ障害とはどんな疾患なのか

そのような世相の中で、二十世紀末から急増した病態の一つに、境界例ないし境界性パーソナリティ障害という精神疾患があります。

境界性パーソナリティ障害について今日は詳しくご紹介いたしませんが、この精神疾患は大よそ次のような特徴を持ちます。

①気分が急激に変動しやすく、怒り衝動性などの強い感情や情動を制御しにくい。
②他人を理想化したり、突然否定したりするために、不安定で極端な対人関係を持ちやすい。
③自己像が混乱していて不安定であり、自己評価が極端に変わりやすく、きわめて低い自尊感情(自己肯定感、self-esteem)を持っている。
④浪費、過食や拒食、薬物やアルコールなどの乱用と耽溺あるいは過量摂取(ODオーバードーズ)、自傷行為などの自己破壊的な行動が見られることがある。
見捨てられることを常に恐れていて、他者から見捨てられることを避けるために行き過ぎた努力をする傾向がある。

この境界性パーソナリティ障害の背景には、幼少期の虐待逆境的小児期体験不安定な家庭環境が存在する場合が多いのですが、虐待を受けても境界性パーソナリティ障害にならない人も存在します。

近年の脳科学の発展に伴い、境界性パーソナリティ障害の人の身体システムには、ストレスに対する反応や衝動的な行動を制御する脳や神経系の機能低下が遺伝的に見られることが指摘されています。

キレやすい人と境界性パーソナリティ障害などの疾患の関係性

境界性パーソナリティ障害の状態にある人は、何につけても突如としてキレる情緒不安定な性格を持っていますが、そういう人たちは都市部では決して稀ではありません。

そして、この境界性パーソナリティ障害の症状は実は乳幼児には誰にでも普通に見られるものであることがマーガレット・マーラー博士らの研究で明らかになっており、イヤイヤ期辺りで養育者から適切な養育を受けていない人が思春期以降にこの精神疾患を好発することが医学的に明らかになっています。

本人にトラウマの記憶や病識があるか否かに関わらず、キレやすくなっている方はイヤイヤ期辺りの時期に養育者からそのありのままの姿を受け容れられたり肯定されて育っていない可能性があり、その中にはこの境界性パーソナリティ障害複雑性PTSDなどの精神疾患を発症しているケースが決して珍しくないのです。

キレやすい人にもわけがある

キレやすい人も、その方の成育歴(=生い立ちの物語)をつぶさに検討してみますと、キレやすくなってしまうだけのわけがあります。

しかし、キレやすい性質を持ったままでいざ子育てに突入してしまうと、早晩その育児には何らかの無理や破綻が生じてしまうのです。

臨床心理学の専門用語で恐縮ですが、ひとがストレス欲求不満にどれだけ耐えることが出来るかを現す指標に「欲求不満耐性」というものがあります。

この欲求不満耐性のデータは、通常PFスタディなどの心理査定法によって推測されますが、そういう心理テストをするまでもなく、特にキレやすい人やストレスを自分で抱えていられない人は、この欲求不満耐性が低いと言えるでしょう。

そういう方の中には、電話がとにかく長くて切りにくかったり、こちらに好意的な感情を持つと縋りついてきてストーカーまがいのことをしたり、精神科医や臨床心理士を性的に誘惑したり、突然こちらを悪魔のように扱って関係を遮断したり、かと思えばハラスメント行為を頻繁にするので、周囲の人から距離を置かれてしまい、孤独の淵を彷徨うような生き方に追い込まれる方が大勢おられます。

そうした孤独で自分のあるがままの姿を際限なく受け容れて肯定してほしい人の中に、境界性パーソナリティ障害自己愛性パーソナリティ障害などのパーソナリティ障害の方や、発達性トラウマに囚われている複雑性PTSDの方、さらには人格が解離してしまう解離性障害などと分類されている方々がいらっしゃるのですね。

こうした方々は際限なく愛情を渇望してくる傾向がありますし、依存的な傾向もありますので、どうしても社会では孤立しやすく、孤独をかこちやすいのです。

私は自分自身が親に殺されかかるような境遇の中を祖母の助けによって18歳まで生き抜いて、その後単身京都市に出て、成人後は親とは戸籍を分けて自活してきましたので、医学科在学中の頃から虐待ハラスメントトラウマには関心がありました。

私は卒業後に精神医療の道を歩むようになり、数多くのトラウマ症状を出している方やキレやすい方、果ては自殺企図を繰り返す方やひとを殺めてしまった人とも治療的に関わるようになりました。

そして、どのような「問題児」にもその生育歴の話に丹念に耳を傾けていくと、簡単にその患者さんを非難したり頭ごなしに「精神障害者」扱いできない「理由」と背景があることが深く腑に落ちるようになりました。

境界性パーソナリティ障害を持つ人に限らず、キレやすい人にもその人なりのわけがあるのです。

だからと言って問題行動を振りまいて良いわけではないのですが…。

分離個体化再接近期危機の乳幼児は境界性パーソナリティ障害に似ている

なぜ育児の記事の中で、キレやすい人や境界性パーソナリティ障害を持つ方のお話をして来たかと申しますと、実はイヤイヤ期あたりの分離個体化再接近期危機と呼ばれる時期の乳幼児の内的世界や行動様式には、境界性パーソナリティ障害を持つ人の症状と共通点がひじょうに多いことが解っているからです。

分離個体化理論は、発達心理学者のマーガレット・マーラー博士によって提唱された発達理論で、乳児が母親との原初的な一体感から徐々に分離し、個体としての自立を確立していく過程を詳らかに説明したものとして知られています。

この発達論において、分離個体化期というのは、生後6か月から3歳くらいの時期をさしますが、その中でも生後15カ月から24カ月までの間の辺りの時期を特に「再接近期」と呼びます。

再接近期の子どもには次のような特徴がみられますが、これが境界性パーソナリティ障害の方の症状によく似ていると指摘されているのです。

分離不安
子どもは母親から離れることに対して強い不安を感じます。この不安は、母親がいないときに顕著になります。

両価性
子どもは母親に対して矛盾した感情を持ちます。一方では母親にしがみ付きたいという強い欲求がありますが、他方では母親から離れて依存したいという欲求が見られます。

情緒的な揺れ動き~依存と反抗の繰り返し
この時期の子どもは感情的な揺れ動きが激しく、母親に対して強い依存と反発(反抗)を交互に繰り返します。

再接近期危機そのものは、どんな人も通過する正常な発達段階です。

この時期に母親や養育者が安定して一貫性のある情緒的なサポートを与えていることが大切です。

子どもが不安を感じて泣きわめくような時には、子どもが安心感を抱けるように優しく接する必要がありますし、子どもが親から離れて自分で自分の力を試したい時には、その独立の欲求を尊重しつつ温かく見守ることが親には求められるのです。

再接近期危機は、子どもが自立した個体へ向かって成長する上では欠かせないプロセスであり、誰もが通過する正常なプロセスです。この時期に信頼できる存在によって適切な保護と養育を受けることによって、安定した自己イメージと対人関係を築く素地が創られるのです。

ただ、この時期の子どもを育てた方なら皆さんお判りでしょうが、わが子と言えどもちょっとこれは手に負えないと思える癇癪や駄々や地団駄に親が振り回されて、親の方が参ってしまいがちな時期です。

この時期には子どもの矛盾した言動が顕著に現れますので、まるで境界性パーソナリティ障害という依存と反抗の両極端の間を揺れ動く患者さんに親御さんが振り回されているかのようになるのです。

子育てはいつの段階にも親自身の成熟度と覚悟と親自身の精神的な自立のほどが問われる大変な仕事ですが、この再接近期危機の育児は、どの親御さんも対応に苦悩しがちです。

ただし、この時期に子どもに対して適切な養育が出来ていませんと、思春期辺りになってから、子どもにさまざまな症状(特にパーソナリティ障害愛着障害などの症状)が生じてきます。

思春期になって様々な不適応を示す荒れる子の対応をするのもかなり大変ですから、この再接近期危機において子どもの発達課題と真正面から向かい合うことはとても大切な育児の勘所になりましょう。

そして、そのことは、親御さん自身の未解決の発達課題と向かい合うことでもあるのです。

だからこそ余計にイヤイヤ期の育児は親にとってきついものとなりやすいのです。育自という課題をこなすのは、なかなか骨の折れる仕事ですね(^-^;

親御さん自身が認証されて育っていないために、わが子を認証しにくくなっている

この時期の子どもたちが訴えているのは、要するに「お父さん、お母さんは、私がどんな風でも、私のあるがまま、ありのままを受けいれてくれますか?」ということなのでしょう。

しかし、親御さん自身が幼少期の再接近期危機において適切に養育者に受け容れられていない場合には、わが子のこの要求が我が儘とか暴論にしか思えなくなります。 

現代の育児が難しい理由は種々あるのですが、その一つに、この「親自身がその養育者から受け入れられて育っていないために、その愛着に何らかの傷を負っている場合が多く、わが子に対してもどのように養育したら良いのかのほんとうのところがよく分からないで苦しんでいる」事情があるのですね。

現代日本では極端な少子化が問題となっており、そこに財政的・経済的な支援や親子の居場所づくりなどが推進されるなどのサポートがなされつつありますね。

しかし、少子化の波には一向に歯止めがかかりそうにありません。

その理由は複雑で錯綜したものなのですが、その一因に、親となる世代がほどよい養育を受けることなく、愛着に傷を負って成長したために、子どもを授かって自分が親となることに対してさまざまな抵抗や違和感があることが挙げられます。 

外的に育児の環境やサポート体制が整えられることは素晴らしいことなのですが、親御さんの懐いている内的な愛情飢餓や愛着の傷に手当てがされないままですと、結婚して子どもを授かろうとは思えなくなったり(私はそういう生き方を否定しているわけではないですよ)、悲惨な場合には心ならずもわが子に対してマルトリートメント(不適切な養育)ないしは児童虐待をはたらいてしまうことにもなり得るのです。

親御さん自身がひとから養育者から受け入れられて(認証されて)育っていないために、わが子のあるがままを受け容れて認証しにくくなっているのではないでしょうか。

「認証」を取り入れた育児と育自をしてみてはいかがでしょうか

境界性パーソナリティ障害の画期的な治療法である弁証法的行動療法を開発したマーシャ・リネハン博士は、ご自身が辛い生い立ちだったために、彼女自身が長年境界性パーソナリティ障害の症状に苦しまれました。

しかし、さまざまな経緯があり、また力ある支援者との出会いを経て、リネハンは遂に不惑を過ぎてからご自身の病を癒すことに成功し、その治療のメソッドを弁証法的行動療法と命名して世に問うたのでした。

弁証法的行動療法についてはまた次回以降の記事で申し上げたいと思いますが、この治療法の要点の一つに「認証(validation)」という鍵概念があります。

認証という治療的な営みは、治療者が患者さん(そして治療者自身)の感じていることを評価しないで正当なものとして認めることにより、患者さんも治療者自身も自分の感情を否定しないでそのあるがままを受け容れられるという治療です。

加えて、認証と言う治療法では、治療者が患者さん(や自分自身)の過去の経験やトラウマをありのままに認めて受け容れ、それが現在の感情にどのように影響しているのかを丁寧に理解することにより、患者さんが自分の問題行動の背景や理由を理解しやすくなるという治療効果を期待することが出来るのです。

認証マインドフルネスを中心とした弁証法的行動療法や、イギリスのメンタライジングによる治療は、境界性パーソナリティ障害複雑性PTSDに対して優れた治療効果を持つことが明らかになってきていますが、これらの治療法は大掛かりな設備を必要とするために、日本には残念ながら導入されていません。

私はここで治療法のあれこれを申しているのではありません。そうではなく、この「認証」という発想を「育自としての育児」に活かすことはできないだろうかと提案しているのです。

親が愛着に傷を持っているためにその親なりの地雷が在るのは必然的なことです。

子どもや伴侶が自分の地雷を踏んでしまったあかつきには、自分の感情が荒れても当たり前だという認識を夫婦でお互いに共有できたら素敵じゃないですか。

妻には妻の歴史があり、辛い出来事が相応にあるものです。それは夫も同様なのです。そこをきちんと夫婦で分かち合い、フォローし合いながら育児に当たるのと、そうでない場合とでは、育児に際して子どもと親の銘々の愛着を養う上で、大きな差が出るでしょう。

どんな人の人生も、一冊の本にできるほどの重みがあります。

ですから、ご夫婦や信頼できる関係者の方と重荷を分かち合いながら、それぞれの地雷を解消しながら育児する営みの中に親の育自があるとも言えるのではないでしょうか。

親が子どものあるがままを受け容れて認証するためには、まず親自身が自分のあるがままを受け容れて認証する必要があると私は思いますし、そのためには必要とあらば臨床心理士や医師の援助を受けることも決して恥ずかしいことではないと愚考いたします(*^^*)

結びに~ゆとりを持って育児するのは大変ですが、光は射します!

今日は育児の難しさと親御さんのこころのゆとりの持ちにくさについて、親御さん自身の愛着形成の難しさと傷と言うテーマを、都市部に増えている境界性パーソナリティ障害と乳幼児の重なり合いと絡めながら長々と記してきました。

私もイヤイヤ期真っ只中の3歳の次女を育てるのに悪戦苦闘している二女の父ですのに、いろいろと偉そうにお書きしまして、大変申し訳ございませんでした(^^;

今の時代はよくひとと人とが分断されて行っている世相だと指摘されています。その辺にも育児や親の育自の難しさはありましょう。

このような孤独に塗れがちな時代だからこそ、大切な人と重荷を理解し合いながら、認証のスピリットを以って育児していく時、必ず心穏やかなしあわせを日々感じながら子育てを楽しむこころのゆとりも生まれてくるのではないでしょうか。

それでは本日はこれで本稿を閉じることといたします。ここまで長文をお読みくださいました諸兄姉にはいくら感謝しても感謝しきれません。

本当にありがとうございました。
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拙文をお読みくださったあなた様に、天から幾重にも祝福と時に適った助けが与えられますように祈りつつ。

Koki Kobayashi拝

長女から私宛の手紙です。嬉しかったです(*^-^*)




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