旅の醍醐味は一期一会~秋吉台を徒歩で一緒に縦断した男子大学生に感謝!
ひとは想い出の中に忘れられない旅を持っています。
忘れられない旅が旅行そのものであることもあるし、困難や試練に立ち向かう日々が忘れられない旅路だということもあるでしょう。
私も、自分が生きてきた人生の歩みは旅だなぁと思います。
その旅は過去のものとして想い出の中に収められた記憶にとどまらず、今ここの時空間から未来へ続く果てしない挑戦の軌跡だとも言えましょう。
人生が忘れられない旅となるのは、何も私に限ったことではないのではないでしょうか。
喜び悲しみがドラマティックに展開して来られた方の人生も、起伏はそこまで激しくなかったけれども味わい深い人生を過ごしてこられた方の人生も、どなたさまの人生もそれぞれの忘れられない旅となり得るのではないかと私は思います。
私たちの人生は忘れられない旅となる
自活を余儀なくされた医学生時代の旅の記憶
私は難しい親のもとに生を享けたこともありまして、高校卒業後、大学に入学した時から自活することを余儀なくされました。
横浜生まれの浜っ子の私が、高校を卒業してすぐに身寄りのない関西に転居し、学費の安い官立大学医学部に入学できたことは奇跡でした。
医学部に合格すると、私は直ちに職を探しました。
かの地での「医者の卵」の威力は半端なものではなく、私は幸いにして学習塾講師と家庭教師の職にありつくことができました。
それ以来、私は夕刻から塾と家庭教師の仕事を掛け持ちして生計を立てながら、医学部の講義と実習に出席する生活を続けました。
このように記しますと、私がいかにも典型的な苦学生だったかのように響くかもしれません。
実際、私は入学時に高価なステッドマン医学大辞典を買うにも四苦八苦するような生活ぶりでした。
それでもなお、今となっては医学生時代の苦学の日々も私にとってはステキな旅の記憶です。
ユースホステルを活用して西日本各地を旅した大学生の頃
私の勤めていた学習塾はホワイトな職場でしたので、塾講師にも定期的に休暇が与えられていました。
私は生活費と学資が蓄えられてきた二回生の頃から、塾の休暇を利用して、時おり貧乏旅行をするようになりました。
旅行すると言っても、なにぶん資金に限りがありましたから、宿泊はすべて費用の安いユースホステルを利用しました。
今ではユースホステルも多様化しているようで、私が利用させていただいたころとはすっかり様変わりしているようですね。宿泊費用も以前より高いところも稀ならずあるようです。
私は医学部時代を過ごした六年間のうちに、勤務先の休暇を利用して、西日本のあちこちを回りました。そして、旅先で多くの親切な人たちとめぐり逢いました。
旅先で知己となった人たちの優しいこころの温かさは、大学入学時に対人恐怖症気味だった私の凍った心を穏やかに溶かしていってくれました。感謝しています。
今日は私が体験した旅の思い出の中でも印象的な旅行を一つご紹介したいと思います。
それは、私が秋吉台のカルスト台地を秋芳洞から大正洞までハイキングした時のお話です。
旅したらただでは済まなかった私
え?
それのどこが印象的なのって思われますか?
それはそこ、転んでもただでは起きない、いえ、旅したらただでは済まない私のことです。
ユースホステルを使って旅しても、特別仲良くなる友人は出来なかったという声もちらほら耳にしますが……
①私の場合、どういう訳か、どこへ旅しても京都市の大学生たちと知己になった。
②私がどこのユースホステルに泊まっても、外国人の方々と仲良くなった。
③ユースホステルで仲良くなった新しい友人と、翌日以降一緒に旅することがとても多かった。
④私に下心がなかったのにも関わらず、私がユースホステルの女風呂に誤って入ってしまったことが三回あり、逆に私が独りで入っていた男風呂に女の子たちがこれまた誤って入ってきたことが二回もあった。
女性陣には私に邪心がないことが察せられたようで、私は一度も女の子たちに叱られなかったし、風呂桶も飛んで来たことがなかった。
私が旅するとただでは済まなかったのです(^-^;
前日知り合った男子大学生と一緒に秋吉台の上をハイキング!
「人生は一期一会の旅である」と言うことがあります。
私の場合、親の愛には恵まれなかったように思いますが、生家から独立して自分で生計を立てて生きるようになってからというもの、「一期一会の出逢い」に人並み外れて恵まれてきたことに感謝しています。
私が医学部の解剖実習で悩んでいたある夏の日のこと、私の様子をよく見てくださっていた勤務先の塾長から、一週間の休暇を与えられました。
塾長のご厚意に甘えた私は、その夏の休暇を使って、秋吉台から山口湯田温泉郷、さらには津和野、萩方面を巡る一週間の旅をしました。
宿泊したユースホステルはすべて一泊二食付きで3000円くらいでした。
食事後にユースホステルのペアレントさんが主催するミーティングで同宿の若い旅人たちと知己になったりと、いいこと尽くめの旅行でした。ありがたいことです。
私が秋吉台のユースホステルに泊まった時も、相部屋の同年配の男子大学生ととても仲良くなりました。そして彼の提案で、翌日ふたりで秋吉台の秋芳洞を巡り、それから三時間歩いて大正洞まで一緒にハイキングしたのです。
このようにお書きしますと何でもないことのようですが、秋芳洞から大正洞までの旅を、Googleマップも当てにせずに、知り合ったばかりの男子大学生と二人きりで三時間も歩き切るというのは、いささか無謀な話ですよね。危ない目に遭ってもおかしくないかもしれません。
私だって彼とでなければ一緒に三時間も秋吉台を歩く真似はしなかったでしょう。ユースホステルの良かった点は、夕食後に催されていたミーティングで、同宿の人たちの人となりをつぶさに観ることが出来たことでした。
私は随分と親には虐待されて泣かされましたので、そのぶん人間を観察する目は養われていたのかもしれません。
対人恐怖症気味だったというのも、高校を卒業して関西に転居するまでは、厄介な人たちや親類に随分厭な思いをさせられた日々を過ごしましたので、私の心の中に人間に対する不信感があったからでしょうね。
彼は東京の有名なT大学の学生さんでした。とても穏やかでかつ明朗な性格の方で、私とは話も合えばウマも合うという調子でしたから、ふたりはあっという間に打ち解けることが出来たのです。
秋芳洞から大正洞まで三時間の道程をふたりぼっちで歩いた
ミーティングの際に彼と話していた時のこと。
「明日どこ行くん?」と彼が問えば、
「明日は秋芳洞を見てからなぁ、バスで大正洞まで行って、大正洞近くのユースホステルに泊まる予定やでぇ」と私が応えます。
彼もまた関西出身でしたから、私は話しやすかったですね。
私の関西弁は決して流暢ではありませんでしたが、彼はそれをいじったりしてきませんでした。
そんな彼から突然の提案がありました。
「ほな、明日一緒に秋芳洞見てから大正洞まで歩かへんか?きっとおもろいことになるさかいな」
「マジで?秋芳洞から大正洞までは歩いて三時間かかるで?」
私は驚いて彼に訊き返しました。すると、
「せやからおもろいやんか。行こ行こ!」
私の見立てでは、その時の彼の腹のうちには腹黒いところが見当たりませんでした。私は嬉しそうに同行二人の旅を提案してくる彼の話に乗ってみることにしたのでした。
秋芳洞から大正洞まではカルストロードという道が通っていますので、私たちはバスで安全かつ迅速に秋芳洞から大正洞まで移動することが出来ます。
しかし、私とくだんの男子大学生は、このカルストロード沿いの遊歩道を、およそ三時間かけて、途中休憩所もトイレもない中、灼熱の太陽に照らされながら、秋芳洞から大正洞までふたりぼっちで歩くという、いささかしんどいけれども「おもろい道」を選んだのでした。
カルストロード沿いの遊歩道は、秋吉台の起伏のある丘陵を通っています。その道のそこここに地下の鍾乳洞へと突き抜けていく穴があいています。
後で土地の方に伺ったお話によると、時々私たちのような無茶をする人がいて、その中には穴から落ちてお亡くなりになる方もいらっしゃるそうです。
私たちのしでかしたことは、どうやら決して褒められた話ではなかったようなのでした。
旅は道連れ、世は情け
私と彼がカルスト台地を丘あり穴ありトイレなしの珍道中を繰り広げて、よりいっそう打ち解けた頃、この奇妙な二人連れの旅行客は鍾乳洞に落下することなく、目的地の大正洞に無事到着しました。
私たちは秋芳洞の見学をしてからカルスト台地を歩き始めましたので、ふたりが大正洞のユースホステルに着いた時には、既に日は落ちかかっていました。
大正洞近くのユースホステルでは、汗まみれの私たちを、ペアレントさんが心配そうに出迎えてくださいました。
「どうしたの、その汗?どこから来たの?」
「ぼくたちは秋吉台の秋芳洞からここまで歩いて来たんです」
「ええっ!秋芳洞から?カルストロードのバスには乗らなかったの?」
ペアレントさんがどうしてそんなに驚き呆れておられるのか、その時にはまだ私たちにはよくわかっていませんでした。まさか遊歩道の穴から落ちて不幸な目に遭う方がいらっしゃるとは思いもしなかったのです。
確かに穴はそこら中に開いていましたので、冷静に振り返ってみればそういう事故が起こることになんの不思議もありませんでしたが……
当日の夜のミーティングでは、ペアレントさんが「今日ここに泊まっている人の中には、秋芳洞からここまで歩いて来た人たちがいらっしゃるけれど、それはとても危険なことなので、みんなは真似しないようにしてください」としっかり釘を刺されました。
私たちにそう苦言を呈するペアレントさんの顔には穏やかな微笑みが浮かんでいましたし、その語り口も優しくてどこかしらユーモラスでした。
そのペアレントさんの飾らない人情味あふれる話しぶりに、私の騒めいた気持ちはずいぶん救われたことを昨日の事のように憶えています。
旅は道連れ、世は情けとはよく言ったもので、私とくだんの男子大学生は、結局その後も山口湯田温泉から津和野まで連れだって貧乏旅行をしました。
津和野には当時ユースホステルがなかったので、珍しく私たちは民宿に泊まりました。私と彼はこの民宿でギターを二人で弾きながら、さだまさしさんがこの街で作詞作曲した『案山子』という歌を歌い、翌朝ほんとうに名残惜しみつつ別々の道を歩んで行きました。
この旅はほんまに生涯でも稀に見るような、おもろくて忘れられない旅となりました。
旅の醍醐味は一期一会――結びにかえて
あの夏、人体解剖の実習に明け暮れて「人体の尊厳はいずこにありしや」などと青くさい悩みを抱え、ロマン・ロランやドストエフスキーやキルケゴールやフランクルを乱読していた青春真っ只中の私に、勤務先の塾長が旅に出ることを勧めてくれなかったなら、このおもろい旅もなかったし、彼との珍道中も実現しなかったのです。
人生には数多くの分岐点があり、私たちは意識するしないに関わらず、毎時毎瞬何かを選択することを迫られている生き物だと言えるのかもしれません。
私があの時あの大学生とカルスト台地の遊歩道を一緒に歩き渡るという選択をしたように、時には傍目には少々無茶に見えることでも、果敢に挑戦した方がなんや知らんけどおもろくて悔いのない人生を送ることができるように私は思います。
人生という旅の岐路に立って、あれかこれかの選択を迫られる時、私は医学の慣わしで、その選択のベネフィット(利益)とリスク(危険性)を考慮に入れながら悩む癖があります。
しかし、時には思い切って未知の可能性の中に飛び込んで行った方が、結局は悔いの残らない、忘れられない人生の旅を送ることができるように私は思うのですが、いかがでしょうか。
いのちあっての物種という言葉もありますが、人生の縁は一期一会です。
私は現在さまざまな難病と向かい合いながら療養生活を送っていますが、これからも一期一会の巡り合わせの機会を捉えつつ、この一度きりの人生という「忘れられない旅」を、強く、雄々しく生きて行きたいと思っています。
以上、「旅の醍醐味は一期一会~秋吉台を一緒に徒歩で縦断した男子大学生に感謝!」と題しまして、note with JTBさんの企画である「 #忘れられない旅 」の応募記事をお書きいたしました。
長文になりました。お読みくださいまして、誠に有難うございました。
私のおかしな関西弁の言い回しにつきましては、何とぞ皆様のご寛容をもってお許しくださいませ。
お読みくださった皆様のご多幸を心より祈りつつ。
感謝します!