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【コレまでとコレから(57)】くれおーる加西さん

61人目に【コレまでとコレから】を聴かせていただいたのは、粉もんレストランのパイオニア株式会社くれおーるの加西幸浩さん

大阪を中心に多店舗展開している粉もんレストランくれおーるは、西野亮廣さんのオンラインサロンや、タムココサロン界隈のイベントでよく使われていて、トリュフ塩のたこ焼きが大好きです😆✨

いつもニコニコ出迎えてくれ、社長なのに汗をかきながら一生懸命たこ焼きを焼いてくれ、お客さんとのサービス精神旺盛なコミュニケーションも抜群

だからこそ、マンツーマンでゆっくりしゃべる機会って今までなかったんですが、今回の取材でじっくり聴かせていただき加西さんが益々大好きになりました

そんな素敵な大阪の元気の素❣️加西さんの【コレからとコレまで】をぜひお楽しみください💁

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 大阪ミナミのまちをもっともっと繁盛させて
  子どもたちや若者にの未来も応援する
 大阪の明るく元気なおっちゃん・加西さん
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京橋にある3坪でカウンター5席の大繁盛たこ焼き屋さんから、周りの反対を押し切って道頓堀に100名以上入る大箱の店舗を出店。

それまで、イートインよりテイクアウトが主流だった「たこ焼き屋」を、エアコンの効いた店内で落ち着いて食べてもらえるスタイルに変え

さらに、「たこ焼き」以外にも、「お好み焼き」「焼きそば」「串かつ」などの大阪グルメを1軒で楽しめる観光客ニーズに沿ったメニューを揃え

2000年代初期に、ザ・大阪な粉もんレストランとして、革新的なビジネスモデルを成功させた加西さん

その魅力的で独創的な発想を、当時の道頓堀商店街を中心とした街づくりチームが目をつけ、加西さんにも協力して欲しい、と声をかけてもらい

今では、街づくりチームの副会長として道頓堀を盛り上げるための色んな仕掛けや、インフラ整備に尽力しているとのこと

そんなインバウンドで賑わう道頓堀の活性化に欠かせない存在となっているくれおーる&加西さんですが

そのスタートは、女手ひとつで育ててくれた母が、勤めていた会社の廃業をきっかけに、地元で始めた小さなたこ焼き屋さん

当時、高校生だった加西青年に店を手伝ってもらいながら切り盛りしていて

近所の有名ラーメン店主さんなど、飲食店関係の方が、わざわざ食べにきてくれるくらい味の評判が良く、開店当初から繁盛していた

ただ、家の近所でお店をやっていると、色んなご近所付き合い的シガラミも多く、お店の運営以外に気を回さないといけない負荷が大きくなり過ぎ

京橋に良い物件が出ているとの情報を得て、思い切って移転を決意したところ、初月からの売り上げも良く、さらに忙しくなっていった

そんな繁盛店の噂を聞きつけ、銀行さんやら同業者からの色んなお誘いがあり、徐々に個人事業から法人化が必要な事業規模に発展

ただ、売り上げがメチャクチャ上がる反面、そのためには自分も含めた従業員のフル稼働が前提となっており💦

特にタコ焼きなだけに、誰かがずっと焼き続けないと買いにきてくれる多勢のお客さんへ商品を届けることができないオペレーション💦💦💦

朝から晩まで立ち仕事で、ほとんど休みもとれず、お店の繁盛具合とは逆に、このままの店舗運営で従業員を幸せにできるだろうか⁉️という懸念から

小さい店舗で、お客さんの回転数に頼ったビジネスモデルからの脱却が必要🔥との結論を、社長である母と共有

そして、いつも暑かったり寒かったりする屋外で、並んでまでたこ焼きを買いにきてくれるお客さんたちの姿を思い浮かべたとき

以前からなんとかカタチにできないか⁉️と考えていた「冷暖房の効いた快適な店内でゆったり食べてもらいたい」との想いと相まって

人通りの多い通り沿いに、客席の多いレストラン型のタコ焼き屋を開店してみよう💡と考えが固まった

さらに、テイクアウトが主流だったタコ焼き屋をレストラン型でやるなら

お好み焼きや焼きそば、串カツなんかも同じ店で食べれた方がアチコチ行ってみたい観光目的のお客さんの貴重な時間を奪うことなく

「大阪グルメを食べたゾ😋💕」感を味わってもらえるんじゃないかとメニューを拡充

当初、いきなりの「大型店舗で、しかも大阪ミナミの一等地への移転」には、母と加西さん以外、社内の幹部も含め、関係者はこぞって大反対

初期投資額はもちろん、家賃も跳ね上がり、事業運営上のリスクを上げればキリが無い状態😆💦

とは言え、このままマンパワーに頼った店舗運営を続けていても、時間の経過とともに体力的にも精神的にも限界がくる未来は明らかで

今、進もうとしている道は、成功の保証があるわけではもちろん無いけれど、経営戦略的には勝ち筋が見い出せる唯一のルートで進むしか無い❤️‍🔥

と、最終的にはリーダーとしての経営的判断でゴリっと実行💪運も味方してくれ、移転初月から結果を出すことに成功して今に繋がった

そんな、商売センスが光り輝き、今や大阪ミナミの発展に欠かせない存在となっているくれおーる社長・加西さんのルーツを探るべく子ども時代を振り返ってもらうと

本人曰く、引っ込み思案で臆病&人見知りだった半面、負けず嫌いの目立ちたがり屋⁉️だったと、なんだか矛盾する子ども像を語ってくれ😆

頭の中が⁉️マークでいっぱいになりながらw、もう少し詳しく聴いてみることに

大阪に育った少年らしくガッツリな阪神ファンで、選手たちの甲子園での勇姿に憧れ、少年野球チームへ入団

負けず嫌い&持ち前の運動神経を発揮して、「同じチームのメンバーの誰にも負けたく無い❗️」との強い思いで練習に打ち込んで、見事スタメンを勝ち取り

そんな成功体験と実績から、野球少年として、その力を伸ばしていくのかと思いきや、あの時代の中学生にとって、「野球部=丸刈り」が常識で

一緒に野球をやっていた仲のいい友達がバレー部に入ったこともあり、オシャレにも意識が向いていた加西少年的には、友達と一緒のバレー部へ入部

バレー部でも周りの雰囲気を敏感に感じながら、少年野球で培った運動能力と練習量を発揮し、先輩たちのチームに1年生で1人だけベンチ入りしたことも

そんな将来を期待されるポジションだったはずが、輝いていた3年生の引退と共に、それまでスタメン入りできていなかった部員も含めザ・2年生の時代が到来

そして、出る杭は打たれ(けっこう生意気だったらしい🤣)、一学年上の先輩達とそりがあわず、顧問の先生からも上級生との関係性悪化を理由に

事実上の退部勧告を受け、これ以上バレー部に関わらない方が良さそうだと察知し、あっさりと退部を選択

加西少年のココまでをまとめてみると

臆病で人見知りというより「周りの雰囲気やリスクを敏感に感じ取り、自分が前に出て活躍できるタイミングかどうかをはかる」能力が長けているイメージ

だからこそ、野球でもバレーでもスタメンを勝ち取れるし、その勝ち取ったものに執着せず、その時の自分に本当に必要なものを選択できている感じ✨

退部後、空いた時間をしっかり活用するため、中学生でもOKなバイト(年末年始の年賀状仕分けなど)で、母に頼ることなくお小遣いをゲット

高校に上がると、欲しいものも増えて本格的にバイトを開始し、流行りのファッションアイテムなどを手に入れていたとのこと

その中でも奮発して買ったギターは、自分の稼ぎで手に入れた宝物として、演奏が得意というわけでは無いけれど、今でも手元に残している

思い出に残るバイト先についても聞いてみたところ、ガム工場に朝早くから行き、三角座りで荷物が届くのを待ってる風景は

品物が届いた後の重い荷物を運び込む重労働さと相まって、印象に残っている場面とのこと。その他に一番は青果店でのアルバイト

当初、配達メンバーとして雇われたものの、生来の方向音痴が災いして、他の人と同じ時間で配送できる個数が明らかに少なく

本当ならクビになってもおかしく無い状況で、販売担当への配置換えをしてくれた結果、その店頭での対面販売がドハマりすることに

最初の方こそ、大きな声で呼び込むことに抵抗はあったものの、段々と慣れてきて、お客さんとコミュニケーションが楽しくなっていき

時には、店長からの「期限の近い品の売り切り」という生鮮物だからこそな要望を受け、どう声かけすれば良いか、話をどう持っていけば良いかを考えて

その工夫した声掛けの結果、売れ行きが良くなり、お客さんからも、店長からも喜ばれるし、期待値を達成すると褒めてもらえて嬉しいし

相手の欲しい気持ちと、お店の売りたい気持ちをマッチングさせるのがオモロくなってきて、気がつくと対面販売のスキルが急上昇

その近所の青果店へ買い物に来ていた母が、そんな加西青年の活躍を目にして、たこ焼き屋さんをやるかどうか悩んだ時に

息子である加西青年が手伝ってくれたら、なんとかなる❣️と確信し、たこ焼き屋の出店を決めるくらいスゴかったらしい

母に頼られるのは素直に嬉しく、どうせ他でアルバイトをするなら、「女手一つでココまで育ててくれた母の力になれるチャンス❤️‍🔥」と手伝うことに

ただ、この時の考えは「あくまで手伝い」で、将来やりたいこともあったし、まさか自分が本腰入れてお店に関わるとは思っていなかったとのこと

高校を卒業して大学に進学してからも、空いてる時間にできるだけ手伝っているうち、店舗の移転などもあり、徐々に経営へ関わるように

そして、京橋に移ってからの「複数店舗や新業種への挑戦と挫折」、さらに道頓堀への「再移転&ビジネスモデルの大変革」などを経験していくうち

目の前のお客さんに満足してもらうための「オペレーションの見直し」や「最適な人員配置の試行錯誤」など、店舗運営の面白さに目覚めていった加西さん

とは言え、あの頃は自分の店舗の収支をどうコントロールするかが最大課題で、商店街の他の店舗やコミュニティに関わる余裕がなかった💦と振り返る

今では、あの当時に比べて、時間も融通が効くようになり、道頓堀で街づくりに関われるようになったからこそ

道頓堀の、ミナミの、大阪の強みや魅力、課題が見えてきていて、インバウンドの第二波をいっときの波では終わらせず

この活気を持続・発展させるためには、今が正に仕掛けていくべきタイミングで、そんな時代の節目に立ち会えてることが面白いと感じているとのこと

ただ、実は企業や経営者にとっては、コレからの時代こそか激動の岐路に立っていて

コロナ禍で借りた事業継続に必要だった無利子の特別借入の返済と、同じくコロナ禍で猶予されていた社会保険料の支払いも始まっていて

多くの経営者が、襲ってくる資金面での大きな困難をどう乗り越えられるかどうか⁉️、加西さん自身の経営者としての手腕の試金石だと感じているとのこと

コレまでは、コロナ禍で先の見えない苦しい時期を耐える苦難さはあったけれど、大きな流れとしては、事業をどう展開するかという右肩上がりの成長期

ココからは、怒涛の支払が襲い掛かってくる状況で、上手く資金計画をマネジメントしてこそ、一人前の経営者になれるんだそうで

お話を聴いてて、「コレが大阪経済の最前線で活躍している経営者か👊」と、感銘を受けました

経営者になってみて、新しい事業にチャレンジして、失敗した店舗・業態もあり、それはそれで悔しかったり、情けなかったりだったけど

それ以上に苦しかったのは、コロナ禍で何もさせてもらえない、どうなるのかの見通しが見えない、両手足を縛られて目隠しされてる状態

本当にあの3年半は事業をやってる者からすると、耐え難い期間だったと、経営者としてのリアルな本音も伝えていただけました

そんな加西さんが、コレから先の5年後、10年後をどう考え、何をしていくのかについても聴いてみると

見えてきたのが、スタッフや子どもたちへの想い

コレからの激動の時代で、自分らしく在るためには、日本の現状や課題を俯瞰的に把握することが大切で

俯瞰的な把握には、当たり前だけれど「外側から日本を見れる視点が必要」だってことを、コレからを生きる子どもたちにこそ知って欲しいし伝えたい

そのためにも、まずは事業の海外展開で、加西さん自身が海外と直接コンタクトをとり、自分の目で見て、海外で動いてみる

スタッフや子どもたちにはマレーシアなど、日本人が活動しやすく、それでいて多様性に触れられる環境で学べる環境を準備できるようにしたいし

選ぶのはスタッフや子どもたち自身だけど、可能性と選択肢は、肌触り感のある体験ベースで加西さん自身の言葉で伝えられるようになりたい

10年後には子どもたちは成人していて、自立できる年齢となっているから、自身は改めて日本・大阪を拠点に魅力ある街づくりをさらに進めていきたい

と、街も、事業も、家族も、関わるヒトモノコトを総合的に捉えて、その先に広がる未来を考えてアクションを起こしている

そんな加西さんの人間的魅力と器の大きさに、改めて惚れました🤩❤️‍🔥

一介の会社員ではあるけれど、加西さんのコレからにアンテナをはって、もし何か応援できることがあれば積極的に関わりたいと思える

とても元気をもらえて、背筋がピンと伸びる取材となりました❗️

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そんなこんなで、「オモロイ大人100人に聴くオモロい生き方」という本の執筆をしています📝🔥

本当は2023年12月出版予定が、仕事の忙しさにかまけてサボり倒し、謝罪と共に2025年3月への出版延期を報告させてもらいました🙇‍♂️

サボって錆びついた聴き力をとり戻すため、皆さんの【コレまでとコレから】を聴かせてもらってるうちに

その人の「オモロい」にフォーカスを当てなくても、その人自身(【コレまでとコレから】)にフォーカスすると、その中に「オモロい」が隠れてる😆

なので、100人以上の【コレまでとコレから】を集めていけば、その先に「オモロい大人100人に聴くオモロい生き方」があるなぁと気づき

今はひたすら【コレまでとコレから】を聴かせてもらってアウトプットしていきます🔥

なので、ぜひ貴方の時間を少しシェアしていただけないでしょうか🙏
(60分程度、zoomか都合がつけば対面で)

#オモロい大人100人に聞くオモロい生き方
#あなたのコレまでとコレからを聴かせてください

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