武田典子プロフィール紹介
武田 典子 (Takeda Noriko)
1972年10月12日生まれ
東京都江東区出身
法政大学社会学部卒業
ヘルスビューティークリエイター
日本トータルウェルネス協会認定トータルウェルネスアドバイザー
ナチュラルフードコーディネーター
BBJ2024千葉大会 ベストボディクイーンクラスグランプリ
私がヘルスビューティークリエイターをしているのは、
私自身が40代半ばで肥満と体調不良に悩み、
そこから食事の改善とトレーニングで健康美を得ることができた経験があるからです。
その頃はちょうど、子供が小学生になり、本格的に社会復帰、仕事はやり甲斐がありましたが、習い事の送迎もあり、非常に多忙でした。
食事は車の運転中に、コンビニの菓子パンやおにぎりで済ませる日が多かったです。
年齢的に、ホルモンバランスを崩しやすい時期でもあったと思います。
体脂肪率は30%を超え、眩暈に悩まされて耳鼻科通い、メニエール症候群と診断されました。
子宮頸がん、子宮筋腫も発症しました。
そこからナチュラルフードコーディネーターの資格を取得し、食生活を改善、趣味だったスポーツバイクも再開して、50才でトレーナーデビュー、
2023年ベストボディジャパンへ初出場。
2024年には千葉大会でグランプリを獲得しました。
今では眩暈もなくなり、子宮の病気も完治しました。
この経験から、同じようにホルモンバランスの乱れや中年肥りに悩む同年代の女性の役に立ちたいと思い、この活動をしています。
今回は、そんな私のストーリーをご紹介します。
ぜひお読みいただけると嬉しいです!
インドア派の、優等生タイプ
1972年10月12日、東京都江東区で3人兄弟の長女として生を受けました。
待望の第一子、父の名前の一文字を取って、典子と名付けられました。
幼少期は、本を読むのが好きなおとなしい子でした。
小学生の頃は、放課後は書道、ピアノ、学習塾、スイミングと習い事が多く、友達は少なかったです。
母が定期購読していた料理雑誌を読んで、お料理やお菓子をつくるのも好きでした。
自分で言うのも何ですが、成績優秀、生活態度良好の、いわゆる優等生タイプでした。
中学に入り一転、反抗期に突入
バトミントン部に入部。部活に入ったことで友達が増えました。
時代は80年代、校内暴力など学校がいちばん荒れていた時期でした。
不良がかっこいい、そんな風潮でしたね。
授業をサボって部活に出て、とにかく友達と過ごす時間が楽しかったです。
そんな中でも学習塾には通っていて、成績は相変わらず良かったです。
人生最初の挫折
しかし、高校受験の時に、人生最初のつまずきがありました。
希望の高校を受けさせてもらえなかったのです。
成績が少し届いていなかったのは事実です。
でも、勉強してきたのは自分、通うのも自分なのに、受験校を偏差値で勝手に決められるのが納得がいかず、
親や先生、周りの大人への不信感と反抗心が募りました。
腐った想いを引きずって過ごした高校時代
高校時代は部活にも入らず、何をしても面白くない、そんな感じでした。
何に対しても無気力で、ほとんど思い出がありません。
今思えば、「どこに行くか」よりも「そこで何をするか」の方が大事なのに、
本当にもったいない3年間だったと思います。
ただこの経験は、今では仕事に対する心構えや子育てに活かせていると感じています。
大学に入学して人生は一変
ちょうどバブルの絶頂期でした。
人生最初のモテ期到来、お遊びサークルに入って、はじめてのアルバイトもして、毎日が楽しくて仕方なかった、勉強そっちのけで遊んでいました。
卒業する頃にはバブルが弾け就職氷河期。
遊んでばかりいたせいで、就職活動は散々でしたが、それでも学生時代のアルバイトが縁で、飲食業に就職できました。
就職、人生を謳歌、からの転落
社会人になってはじめての職場は、高級フランス料理店でした。
料理もワインも調度品も、知らないことだらけで仕事は充実していました。
職場の先輩や友人と、勉強と称してしょっちゅう食べ歩き、
東京の一人暮らしを謳歌していました。
が、そのうち人間関係の悩みから次第に酒量が増えていきます。
ほぼ毎日の飲酒、朝まで飲むなんてざらでした。煙草も1日2箱くらいは吸っていました。
そんなメチャクチャな生活のせいで、心身のバランスを崩すことになります。28歳の時です。
そして退職、実家に戻り、自宅療養することになりました。
その時、山が好きな両親に連れられていったのをきっかけに、登山にはまりました。
そこからスキンダイビング、スポーツバイク、キャンプと、一転してアウトドア派に。
この時、仕事もせずに家にいる私を黙って見守ってくれて、おいしいご飯を作ってくれて、 そして外に連れ出してくれた両親には、本当に感謝しています。
結婚、不妊治療、そして出産
そして健康を取り戻し、29歳で結婚。
仕事も再開し、化粧品販売、園芸店、デパート販売員など
接客業に就きましたが、不妊治療を期に仕事を辞めます。
この時は、10代から20代での無理なダイエット(バナナだけダイエット、とかリンゴだけダイエット、など)や不規則な生活のツケだと思いました。
生理不順や生理痛なんて、日常茶飯事すぎて気にしていなかったので。
そして1年半の治療の後に妊娠、34歳で出産。この時は本当に嬉しかったです。
子供が小学校に上がるまでは、専業主婦で子育てを満喫しました。
そして産婦人科で出会ったマタニティヨガから、産後も5年ほどヨガを続けました。
ヨガでは、自然食、全体食といった考えを学び、食生活を見直す良いきっかけにもなりました。
実家の近くで両親と一緒に家庭菜園もはじめ、都心に住みながらも毎週末は自然に触れて、
子供の情操教育、食育にも良かったのではないかと思います。
自分自身も、30代は概ね体脂肪率18〜20%で、体調は良かったです。
40代半ばで中年太り!
そして子供が小学生になり社会復帰。オーガニックカフェで働き始めました。42歳でした。
仕事は楽しく、やり甲斐もありましたが、習い事の送迎などまだ手のかかる時期でもあり、
仕事と子育て、家庭、すべて完璧にやろうとしすぎてとても多忙でした。
自分のことは後回しになり、昼食は摂らないか、車の運転中にコンビニの菓子パンやおにぎりで済ませる有り様。運動不足もあって、徐々に太りはじめます。
48歳のピーク時は、体重62kg、体脂肪率は30%を超えました。
年齢的に、ホルモンバランスを崩しやすい時期でもあったのだと思います。
子宮頸がんを発症、子宮筋腫も見つかり、不正出血が2年ほど続きました。 眩暈に悩まされて耳鼻科にも通い、メニエール症候群との診断も受けました。
50歳でトレーナーに
そこからナチュラルフードコーディネーターの資格を取得、食生活を改め、趣味だったスポーツバイクも再開して、
半年で体重56kg(−6kg) 、体脂肪率21%(−9%)に減量。
さらにボクササイズや筋トレもはじめて、50歳でトレーナーに転職。
2023年にはベストボディジャパンに出場、
51歳になりたての10月の東日本大会で、パーソナルトレーナー部門4位入賞。
2024年には千葉大会でグランプリを獲得しました。
今では婦人科の病気も完治、眩暈もなくなりました。
自分の健康は自分でつくる。いくつになっても体は変われると実感しています
女性はいくつになっても、美しさに貪欲であるべきです。
体が変わると気持ちも前向きになり、積極的になれます。
適正な食事と適度なトレーニングで付いた筋肉は、天然のコルセットとなり、姿勢を良くしてくれます。
成長ホルモンの作用で、美肌にもなれます。
そうして健康と本来の美しさを取り戻したあなたは、自信にあふれ、うちから輝く魅力的な大人の女性になっているでしょう。
さあ一緒に、「生涯現役ヘルスビューティー」を目指しましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ナチュラルフードコーディネーターの
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