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無償の愛 と 自己犠牲

「誰も 人の意見を聴きたいと思わないし アドバイスが欲しいと思ってはいない。ただ人は自分の話しを聞いて欲しいだけなので、言葉を挟まず、声がけもせず、沈黙と共に それらを聞く事に気を付けようと思う」…それが“人に寄り添う…ということ”“見返りを求めない無償の愛”…ということ…ご自身も“言葉”を多く使うので気を付けたい…と、そんな発信者の言葉に 先日 触れました。

この世界には
何か壁のようなものを見つけたら
それを超えてゆこう‼️と 「決意と勇気」を持って 「よしっ‼️」って 軽々とではなくとも 前に進んでゆく比較的取り掛かりが速い段階に居る人と、

その壁を見て、
恐れの中に居て そして、こんなことがあったから …あるから…それを見たくない、超えることなんて出来ない。此処に留まりたい、超えたくない、考えたくない。…と選択する 比較的ゆっくりペースの段階にいる人がいます。

多く 人が集い 言葉を発信する方の言葉だったので 当初は少し驚きを覚えました。


⿻ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ⿻*.·

無償の愛と 自己犠牲…この境界は なかなか難しい線引きです。無償の愛は 自己犠牲にもなりやすい。知らず知らず化けてしまっていることもあるんじゃないかと思う( *´ㅅ`)⁾⁾ウンウン

子供が 幼稚園の頃、バスのお迎えで 井戸端会議が好きではなかった あの頃。

単なる だだ漏れの 人の愚痴とか 後ろ向きな言葉は そこに前向きな姿勢、そこから脱したい…て意図がなければ 私がそこに参加しようとは思わなかった若い頃があります。


受け止め 慰め続けるのでなく それは その人を弱らせる…と 単に聞くだけ…聴く、に徹底する姿勢を保って来なかった…選択して来なかった「私」が居ます。


前述の発信者、スピーカーさんのお話しは

世の中には (とても?)多く
「自分の現実に現れる“壁”を超えたくない、超えない、見たくない、考えない…」って時間を選択している人たちが多いのだということを 改めて知った感じ(*ᵕᴗᵕ)⁾⁾ ゥンゥン

(単に その“恐れ”を生じさせている時間が 今なだけ…という意味にも思えますが…)

もちろんそれらの人たちも 時間を生きているので 時間が経過するその人のタイミングで 幾年月が流れ 成長し物事に取り組んで行く人達も 大きく成長してゆけば それに取り掛かる覚悟を持って取り掛かる人たちも多いのだろうと思います。


多くの人は 「話せば分かる」「理解出来る」…と 2017年頃まで 思っていた 単純な私⁽(◍˃̵͈̑ᴗ˂̵͈̑)


そういった さまざまな段階に 様々な人たちが
理解度を違えて存在しているのだと「知る」と

私の想いから言葉、行動に展開する際
大いに考慮に入れる必要があるものがあり、
私の現実に現れてくる様々な事象や人達が
何故そのような背景になっているのか…も
分かって来ます。

そして 考慮すべきそれらを反映させる必要もあったのだと分かってきます(*ᵕᴗᵕ)⁾⁾ ゥンゥン

「知る」…とか「分かる」…

そして
「自分」とは違った視点や観察を持った人に 学ぶ…耳にして目にして 自分の意識内へと取り込める部分を取り込んでゆく作業は
現実に自分の人生に活かせる新しい発見です。


なんとなく「違和感」が生じるものたちに対して…違和感が生じるから避けるんじゃなく 愛と調和の視点からの「客観的な物事に対する観方」へと 多くの人達全体が シフトして行ければ良いな
(* ॑꒳ ॑*  )ルン♪*°

…と 感じ入る 今日この頃です😘


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