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奈良クラブを100倍楽しむ方法#032 第32節対 FC大阪 ”Fight For Your Right"

痛すぎる敗戦。かなり精神的なダメージを受ける試合だった。中田監督に変わりこれまで一つ一つ丁寧に積み上げチームを再建してきた奈良クラブ、その流れから行くとこの試合は必ず勝たなければならないものだった。サポーターも選手も、この試合にかける意気込みは相当なものだったはず。しかし現実はそう甘くはない。フットボールの神様は残酷だ。

この試合については、あえて「力負け」という表現はしない。実力としてはイーブンだったし、奈良クラブが戦力として見劣りするようには思えない。むしろ、この試合は奈良クラブの力が及ばなかったのではなく、本来持っているはずの力を出せなかったことが敗因に思う。「力負け」とすることで、なんとなく全てを理解したような気持ちになるのはあまり良いとは思えない。選手たちだけでなく、見る側にとっても成熟することを求められるのが今シーズン通しての課題だと思っている。どれだけ敗戦から学べるかが、残留への道だ。見たいものだけを見ていては、必ず同じことを繰り返してしまう。

もし敗因というものを探るなら、一生懸命になりすぎたことだと思う。『「勝つ」ことだけが目的では、勝負に勝てない。』これは奈良クラブのユニフォームサプライヤーであるスクアドラが、奈良クラブのユニフォームのタグの裏につけた言葉だ。奈良クラブの選手はこの試合も一生懸命に戦った。誰一人手を抜かず、全力でプレーしていた。それは間違いない。ただ、僕は逆にそれこそが敗因だったと感じている。敗因という言葉がふさわしくないのなら、それが課題であり成長点であり、伸び代である。
別の試合でも書いたが、奈良クラブの選手は真面目だ。言われたことをちゃんとしようとするし、誰一人サボる選手がいない。とても応援しがいのあるチームなのだけど、そえが仇になって負けるという展開がある。選手は120%で頑張っている。しかし、頑張りが勝利へと結びついているかと言われると、そうではない。この敗戦がただの1敗ではなく精神的に堪える重い1敗なのは、こういう要因だったからではないだろうか。


澤田の早期交代という誤算

この試合には奈良クラブにとって不運なことがあった。それが前半の最初のところで澤田選手が怪我で交代を余儀なくされたことだ。彼と交代で出場したのは西田選手。澤田選手が勤めていた右のセンターバックには生駒選手が入った。
試合を通じて西田選手の出来そのものは悪くなかった。彼らしいプレーぶりだったし、チャンスを演出することもあった。ただ、西田選手には生駒ほどの前のスペースへの推進力は期待できないし、ここが本職ではない。澤田選手がいることで後ろからのサポートが盤石になり、生駒選手の走力が生かされるのが中田監督以降の奈良クラブの右サイドの機能である。左サイドなら西田はもう少し生きてくるのだが、それは後ろでカバーするのが鈴木選手であり、彼の守備範囲の広さゆえである。もっとも、後半は西田は左サイドに周り、下川選手が右に変更されるのだが、そうなると次は西田が左足で一発でクロスを入れられないという問題も浮上する。これが、後半に攻撃の停滞感として顕著化するわけだ。
この試合のサブのメンバーで本職のディフェンスは都並選手だけ。普通でいくと、澤田選手との交代になる。しかし都並は試合終盤に「締め」をするためにいるはずなので、前半早々には出せない。ディフェンスラインでトラブルが起きた時は、生駒選手をスライドさせて西田選手で対応するという計算ことだったのだろう。
ただし、試合の中では、右サイドは劣勢を強いられた。4−4−2で構えるFC大阪に対して、3−4−2−1で布陣する奈良クラブ。フォーメーションの噛み合わせでいくと、保持のときに相手のディフェンスラインのサイドバックに、奈良クラブのウィングバックを当てられるかが一つのポイントになる。布陣そのものではサイドの人数は4−4−2の方が多い。しかし、ウィングバックがサイドバックを押さえ込むようになると、サイドハーフも必然的にそのカバーリングに戻らざるを得ない。これで相手のサイドの選手2人を、ウィングバック1人で釘付けにできるので、全体の数的優位を作ることができる。奈良クラブは攻めているように見えても、ウィングバックが対峙するのはサイドハーフであることが多く、相手の嫌なところまで攻め込むことができない。西田選手がボールを持っても、前に2人以上のFC大阪の選手が待ち構えている。ウィングバックがドリブルをしかけてボールロスとしてよいのは相手のゴールに近いところに限定されるから、西田はボールを生駒や神垣にリターンする以外に選択肢がなく、そこからの展開もFC大阪の素早いセットアップにパスコースは遮断された。大宮戦よりもこの試合の方が中盤の選手がパスの出し手を探すシーンは多かったように思う。これが大宮戦の後に金田さんが語った「フォーメーションの違うチームとの噛み合わせ」問題というものだ。

堀内選手の不在

これは試合開始以前からわかっていたことではあるが、今日ほど堀内の不在を感じたことはなかった。この日の両ボランチである神垣と森田の出来は、先の西田と同じで悪くはなかった。悪くはなかったが、FC大阪の守備を固める中央からの有効な攻撃はほとんど見られなかった。攻撃の停滞、岡田優希の孤立が起きたのはそのせいだ。
試合が0−0の時はそこまで目立たなかったが、リードされてからは中央の展開力の低さが露骨にさらされてしまった。この日、岡田優希選手は相手の4人のディフェンスと4人のミッドフィールダーのラインの間にポジションをとって、真ん中からのボールを引き出す動きをたくさんしていた。それに伴って松本ケン選手と西田選手が前のスペースを狙って動き出す。ここまでは連動できるのだが、岡田選手からパス受ける選手がいないのでこの連動が無駄になる。あるいは、このボールを奪われるとウィングバックが上がった裏にスペースがあるので、そこを狙われてカウンターを喰らってしまう。こうしてだんだんと奈良クラブの攻撃が単発に終わっていき、可能性のないものに見えてしまったのではないかと思う。
松本山雅戦の同点打は、この試合と同じように岡田選手が引いて落としたボールを堀内選手が一気にサイドの西田選手へと展開することがきっかけだ。このボールを受けに来る選手がいない。FC大阪は岡田に関してはパスコースを切るのではなく、ボールを持ってから前を向かさずに複数人で押さえ込むという対応をしていた。岡田に大阪の選手が集まりのは見えていたので、ここで集めておいてボールが展開できれば、もっと奈良クラブのペースになったと思うが、そこまではできなかった。たとえば、岡田が持った時に鈴木が前に出てボールを捌きにいくようなラインの設定をしても、リスキーではあるが得点への可能性は見出せるのではないかと思う。

堀内選手の不在を埋めようと奮闘したのは神垣選手だ。彼は運動量で中盤と前線とを繋ごうと走りまくっていた。森田もセンスの良さを活かして試合を作ろと努力していた。ただ、中央からの攻撃に怖さが出ないので、FC大阪のバランスが崩れない。バランスが崩れないとサイドは奈良クラブにとっては数的不利になり、守備ブロックを崩す前にクロスをあげるシーンが多くなる。先にも述べた通り、FC大阪が怖いのは奈良クラブのウィングバックが直接ディフェンスラインに攻めかかる流れだ。FC大阪は自分たちでボールを保持することに執着しないので、奈良クラブにボールを動かされる分にはあまり苦にならない。それよりも、まず真ん中を固め、ウィングバックにボールを出させるように仕向けた上で、その対応をサイドハーフがしていれば、失点することはないだろうという計算だったと思う。この試合、奈良クラブはボールはよく回ったが、相手のブロックを崩しにいくところまではいたらなかった。リードされてから、クロスやロングボールが増えるのはこういう展開が続いたからだ。

有効なクロスについて

相手の守備ブロックが崩せないので、リードされてからの奈良クラブの攻撃は真ん中へボールをとにかく蹴り込むという作戦になる。この作戦の良し悪しは置いておいて、もしこれをするならもっとサイドで崩してから、できるだけ真横から蹴ることが大切だ。ペナルティエリアの深さまでは侵入して蹴らないと有効な攻撃にはならない。
なぜか。サイドからの攻撃はフットボールにおいても重要な得点パターンのひとつである。ペナルティエリアの深さまで侵入した相手がクロスを蹴ると、中央で守るゴールキーパーやディフェンスは、ボールホルダーが蹴る瞬間に自分のマークから完全に目を離さなければならない。ディフェンスはボールと相手が常に視野のなかに入るように体の向きを設定するのだが、サイドからの攻撃はそれができないのだ。もっというと、ゴールラインまで攻め込んでのクロスだと、自分はゴールの方向に戻りながらディフェンスしないといけないのでかなりマークが難しいし、体の動くベクトルと反対方向にボールをクリアしないといけないので、遠くまでボールを蹴り出すことが難しい。相手にとっては2次攻撃に繋げやすくなる。
ただし、この日の奈良クラブの終盤の攻撃はそこまでボールを持ち込むことができず、相手陣内の真ん中くらいから蹴り込むことが多かった。これをするなら松本ケンを残しておいて、彼をめがけて蹴る方が可能性があった。後半に出場した百田、山本、嫁阪は高さはあるものの、空中戦が圧倒的に強いかと言われるとそうではない。百田はタイミングで合わせるタイプだから、「蹴りますよー」という感じで放り込むクロスに合わせるのは難しい。山本も同様だ。特に蹴り込む位置が浅いので、相手からすればボールと相手を視野に収めながら対処することができる。終盤の攻撃が極めて可能性のないものに見えたのは、こうした理由からだ。序盤や中盤にチャンスになっているクロスはほとんどがペナルティーエリアの深さまで侵入してから蹴られている。松本ケンくらい高さがあっても、やはりそこからのクロスの方が可能性があることがわかると思う。FC大阪のゴールキーパーの永井はとても優秀で、特にクロスボールへの判断が良い。このキーパーに縦からのロングボールは絶対に効かない。タイミングをずらしたり迷わせる必要があったのだが、そういうシーンは何度あっただろうか。

失点シーンは、奈良クラブがボールをキープし、この試合のなかでもっとも得点の匂いがしたなかでの出来事だった。後半も悪くない入りをし、攻勢を強めていた奈良クラブ。隣で観戦していた長女と話していたが「ここは点を取られることを怖がらずに攻めにでないといけないのではないか」という話をしていた矢先だった。失点したが故に見えなくなりがちだが、あそこで「もう一歩前に出よう」と圧を強めにかかったのは成長だと思う。もちろん、セーフティにやっていれば引き分けは可能だっただろうが、奈良クラブの選手はそうではなく勝ちにいく動きをしていた。それが実を結ぶことはなかったが、少なくとも勝ちに対する執念は見えた。ただし、奈良クラブ全体で見ると執念に少し個人差があったのではないか。「勝ちたい」という選手と「負けたくない」という選手がいたのではないだろうか。それが失点シーンでのギャップとなってカウンターを許すズレに繋がったように思う。
ここまで書いてきたが「堀内が出ていれば」とか「澤田の怪我さえなければ」ということではない。結果はどうなっていたかはわからない。奈良クラブの試合プランも悪いものではなかった。特にFC大阪のエース久保選手は試合にほとんど関与できずに交代を余儀なくされてる。攻め方そのものは悪くなかったし、前半と後半にも惜しいチャンスはあった。そして勝つために一歩前にでるところまではきた。しかし、それが逆に失点を呼び込んでしまう。フットボールの不条理とはそういうものだ。知ってはいるが、いざこうして身に降りかかると、なかなかに辛いものがある。

こんなときだからこそ遊び心を

この日の奈良クラブに足りないものは「遊び心」だったように思う。勝ちに対する執念は、相手に比べて見劣りするものではなかった。むしろ奈良クラブの選手の方が燃えていた。しかし、それに囚われすぎて、プレーの幅や視野が狭くなっている印象を受けた。だから、ハードワークはしているのだが、「次に出すのはここだな」というのが大体見えてしまい、意外性を感じたり計算不可能性のあるプレーはほとんどなかった。前半には松本ケンから岡田への絶好のチャンスもあったが、あそこで岡田がトラップしたのは、あの体勢でシュートを打つよりも持ち直して蹴った方が可能性が上がったからなのだろうが、あそこはダイレクトに打たれる方が永井は嫌だっただろう。トラップをすることで、シュートを打つタイミングがバレてしまったように思う。普通ならトラップで良いのだが、この試合の展開からいうとあそこはダイレクトの方がよかった。あるいは「遊び心」を出して後方から走り込んでくる森田へパスをしてみても面白かったかもしれない。試合のディティールとはこのあたりに表れる。奈良クラブは「正しいプレー」をしようとしていた。しかし、「楽しいプレー」をしようとしているように見えなかった。今勝つために必要なのは「楽しいプレー」だ。

堀内がいない間、奈良クラブで計算不可能性を演出できるのは2人。田村選手とパトリック選手だ。彼らが両方ともベンチ外だったことがこの日は選択肢を狭めていた。それだけ奈良クラブが勝ちにこだわった人選をしたということなのだが、後半の攻撃の停滞感をみていると彼らの不在を感じざるをえなかった。
中田監督になってから、「今ここでプレーできる喜びを感じよう」という言葉が試合後の会見で出ていたし、サポーターの方がスクアドラの『「勝つ」ことだけが目的では、勝負に勝てない。』を引用して解釈されているところもあり、自分もこれをずっと考えている。勝つために必要で、「勝つ」こと以外の目的とはなんだろうか。僕が考えるのは「遊び心」である。この試合、選手たちは楽しそうではなかった。大宮戦は怖さはあったが、奈良クラブの選手は手応えも感じているからか、とても楽しそうに見えた。この試合は、一生懸命やっているのに報われないという、ある種の悲壮感ばかりが目立ち、「楽しんだ」という感情はあまりみられなかった。こういうときに必要なのは、実直にプレーするのではなく、KYなくらい自由に振る舞い、エゴイスティックにゴールを狙うような選手ではないかと思う。先発でなくても、そういう選手はおいておくべきではないだろうか。

あるいはそれはチーム全体のメンタリティに関わることなのかもしれない。遊び心として思い出すにはビースティ・ボーイズの名曲「Fight For Your Right」だ。「権利のために戦え!」という意味なのだが、この曲は実は原題があって、「「(You Gotta) Fight for Your Right (to Party!)」になっている。「遊ぶ権利のために戦え!」「パーティーをする権利のために戦え!」というのだ。ここでラップの歴史を詳しく振り返ることはしないが、ラップやヒップホップ、ブルース、なんならジャズなど、アメリカに連れてこられた黒人奴隷のカルチャーがルーツである。いわゆる「ブラック・ミュージック」と言われるものだ。その筆頭であるラップ・ミュージックをロックの世界から引っ張り込んだのが、白人ばかりのビースティ・ボーイズだった。彼らは方法論としてはラップを取り入れつつ、完全に自分たちの音楽として消化しきっていることにある。「黒人の真似事」と言われても、あくまで自分たちの音楽として諧謔的に魅せる。簡単そうで難しいことだけど、降格争いというもっともシリアスな戦いのなかで、遊び心を出して「まあまあ、そんな目をとんがらせずに、楽しんでいきましょうや」というくらいの方が本来の力を発揮できるように思う。

出場機会に恵まれなかったが、試合終盤の停滞した雰囲気の中で一番歯痒そうにしていたのは、ベンチから見守る都並選手だった。彼の言葉はピッチに届いたのだろうか。もう一度、フットボールを純粋に楽しめた時の記憶を思い出してほしい。いつだってそこに答えはある。

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