友達と昼からビールを飲んだ日
桜が咲き始めた目黒川の川べりで大学の同級生と待ち合わせた。大学に入って割とすぐ仲良くなったのでもう10年来の友人になる。時の速さにビビってしまう。そりゃ僕のおデコも広くなるわけだ。僕はたまたま転職活動で東京に来ていて、彼女は午前中の用事を済ませ桜を見ながら散歩中だったらしい。思いのほか面接が短く終わり「これは多分落ちたな〜」と感じ、そのままとんぼ返りも勿体無いと思っていきなり電話をかけるとたまたま繋がり、しかも割と近くにいたので驚いた。昼間だし喫茶店かな?と思ったが「昼からビール」の誘惑に勝てずアルコール摂取に2人でなだれ込むことに。昼とビール、背徳的かつ悪魔的な組み合わせを前に愚かな人間は抗う術がないのだ。みたいなことを考えていると、ちょうどよく目黒駅の並びの店が空いており即決で中へ。ドイツ風でクラフトビールを扱ういい感じの店内である。横並びで桜を見ながらお互い何してるとか、アイツは最近どうだとか取り留めのないことをいつまでも話した。よく考えると大学の同級生と昼から会うなんていつ以来だろう?夜集まってみんなでワイワイ飲むことは割とあるけれど、昼間からちょっと落ち着いて話すのがあまりにも久々でふわふわする懐かしさがあった。
僕ら舞台芸術専攻生が過ごしたアート館はマグロで名を馳せた大学の外れにある。この大学の価値観は実利優先であり我らがアート館の端への追いやられ様はまるで実利と芸術の距離感を表しているみたいだった。というのは大袈裟だしきっと別の事情があるのだろうけれど、ともかく僕らはそんな追いやられ館の3階を主に根城とし演劇ばかりをしていた。「下手くそは帰れ」「まともにセリフも言えない役者は要らない」などまさに不適切にも程がある教授に怒鳴られながら夜まで稽古をしていた。そんな毎日の片時にあった、いつも誰かしらがたむろしている制作室とか、汗と木屑でベトベトになりながらセットを作った作業場とか、ホール脇にて本番前に意外と早く準備が終わって緊張していた時間とか、いつでも何かで詰まっていた大学時代のスキマの心地の良さをすごく思い出した。
「演じる自分を見てほしい」「作品の世界を生きてみたい」「自分はもっと光を浴びたい」とにかく見てもらいたくて振り向かせたくて、右も左もわからずに舞台を作っていた。そんな初期衝動を共有した人としか過ごせない時間がある。別に作品への批評とか面白い作品とはかくあるべき!とかそういう真面目な話じゃなくてよくて、最近見て良かったものとか、演劇ってやっぱり面白いなぁとかなんでもいい。マグマのようにうごめくあの時を共有した人としか作れない雰囲気があって、それが有り体ではあるけれどかけがえないなと思った。
卒業後、僕はデザイナーになって、コロナに罹っても働かなければ仕事が終わらないようなところに勤めたり、そこを辞めた後も朝方まで働くのが当たり前の会社にいたりした。案の定過労で痛手を負いつつも、それでも同じような仕事がしたいと思ったりしている。ぼくと違い演劇を続けてきた彼女にも苦しい期間があっただろうとか思ったりしながら話しているうちに、一つわかったことがあって自分が仕事をやめたって代わりの人間がいるけれどあの時を共有した人はほんとに限られてて、だから「僕の代わりに仕事をする人」はいくらでもいるけれど、「僕そのものの代わり」はいないのかも知れないみたいな当たり前のことを思った。まぁ僕がいなくなってもみんなの毎日は続いていくんだろうけれど、でもそういう存在であれたらいいなと思うし、そう思ってくれる人と出会い大切にしていきたいと思う。
「演劇が好き!」という瞳のキラキラは今や少しくすんでしまったのかもしれないけれど、結婚とか子供とか夢を追うとか、それぞれの毎日の中で自分のなりたいものを追いかけている。そういうところは変わっていないのかもしれない。
たまには昼から飲むのもいいなと思った。
なおその後晩も一緒に食べたが写真はない。
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