撮り鉄が撮り鉄を語る
タイトル先頭に遺書ってつけるのやめます。なんかキモくてモヤモヤしてたので。
ちなみにこれで全てのルーチンが消えました。性に合わなかったみたいです。
撮り鉄について語りたくなったから語る。
自分自身も撮り鉄の端くれではあるから、あまり人のこと言えたもんじゃないけど。
撮り鉄の視点からそれがどういうものなのか話されているものはあまりないので新鮮ではなかろうか。
主に撮り鉄の人間性と撮っている写真にフォーカスして話すよ。
どうしてやたら迷惑行為をするの?
正当性は全くないが撮り鉄がやたら迷惑行為をするのには理由というか動機がある。
構図や条件を完璧に整えて、狙い通りの1枚を撮りたいから。
中には悪いことしてる俺カッケー系の中高生もいるけど、大半の人はこれが理由だと考えている。
例外はあるが迷惑行為をする撮り鉄は大体、電車以外の要素がなるべく排除された電車主体の写真、編成写真を撮っている者だ。
1枚に電車の前面、側面が最後尾まで収まりきっているザ・電車の写真。しかし、構図に差がほとんどないので写真としての面白さや感動は正直全くない。
あくまで写真ではなく電車を撮っている。
写真ではなく電車に感動している。
このように考えないと、死に物狂いでひたすら同じ写真を撮って喜んでいるようにしか見えない。いや、実際そうだけど。
写真にはある程度見た目が綺麗に見えるテクニック等が存在するが、それは決して完全な正解ではない。そこから工夫したり、あるいは全く違う発想の撮り方をすることで差がついていく。
芸術的に考えるとそこが面白さだと思う。
対して撮り鉄の撮る編成写真は数学的な正解が存在する。正解に辿り着くべく撮っているため皆同じ構図になるから芸術性がない。
その正解は何なのか話しても無意味だし、撮り鉄に怒られると思うのであまり突き詰めない。
かなりざっくり言うと電車の前面と側面の収まり比率とかにおいて正解があるのだ。
「決して完璧に到達できないが、完璧を追い求める時間はとても充実した時間だった。」
みたいな言葉があるがその感覚にかなり近い。至高の一枚(構図は同じだが)を撮るためにできる限りの手段を取る。
そのできる限りを逸脱している気もするが。
こだわりが強すぎる。
電車を撮ることに対する異常な執着。
数学的な正解があるといえる編成写真。これを好む者はとにかくこだわりが強い。自分にもそういう節が昔あったので声を大にして言えないが常軌を逸している。
完璧な一枚にするために障害となるものは全て排除する。江ノ電の件が良い例だが、あの場合外国人は編成写真の障害となるので、近所迷惑を顧みずアホみたいに叫んでどかそうとしたのだ。
これが私なりに考えた冒頭の迷惑行為のアンサーだ。
どうして撮り鉄はこだわりが強いのか、絶対的理由はない。しかし傾向で考えると鉄道好きはASDが多いと言われている。
ASDが大量に集まった同好の集団ということだ。
結局撮り鉄という人間はどういうものか。
本来は電車を満足に撮れさえすれば良いものの、満足に至るハードルが高く執着心が強いゆえに手段を選ばなくなった人間。こうだろうか。
撮り鉄はボコボコに叩いたところでまたやらかすので叩き放題ではある。叩かれたダメージより電車を追う情熱の方がだいぶ大きい。
これは私の意見だが、撮り鉄を叩く人間も脳死で叩くのはやめた方が良い。
電車を撮るという趣味・行為そのものを否定してはいけない。
あくまで電車を撮る際に行われる迷惑な行為にのみ言及するべきだ。それ以上は行き過ぎている。
撮り鉄に限らずとも見たことない電車がいたらスマホでちょっと撮る人もいるだろう。
そんな大した害ない人間の行為まで否定することになる。
撮り鉄の視点から語るつもりだったが、なんだか自分のことを棚に上げて客観的にディスりまくった気がする。
私も電車が好きだしカメラで電車を撮りたいので、今後もライン越えをしないように気をつけます。
以上
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