『マイダイアリー』放送間近雑記
『マイダイアリー』放送間近ということで、以下に駄文を連ねます。
『イチとも』では、誰かの私生活を覗いているような世界観を意識しましたが、『マイダイアリー』は、誰かが自分の人生を思い返しながら書いた小説を読んでいるような世界観になるよう、意識しました。なんでそうしたの?って言われると、特に理由はないんですけどね。でもなんとなく、平日の昼間から好きなことを好きな人たちとできたあの時間は、後から思い出すととても尊かったし、意外と心の拠り所になっているなと、わたし自身が思うからかもしれません。
正直、ギフテッドという言葉を扱うこと、自分のバックグラウンドの一部である数学を描くことには少なからず戸惑いがありました。テレビという媒体の影響力を考えると、偏見を生み出してしまうのではないかと不安だったからです。でもわたしは、このドラマを通して、ギフテッドという言葉の意味を今一度慎重に考え直したかったし、小難しいと思われて隅っこに追いやられがちな数学の面白さを知ってもらいたかった。その気持ちに嘘偽りはなかったので、挑むことにしました。
そして、もう一つの大きなテーマは、普通とは何か?です。マイノリティ、マジョリティという言葉を最近よく耳にしますが、わたしは誰もがマイノリティであり、マジョリティであると思っています。普通の基準は常に揺らいでいるもの。だからこそ、普通って何だろう?という疑問は常にみんなの心にあるべきだと思っています。そういう意味で、このドラマに出てくる人はみんな普通の人です。普通の人を描くことで、普通って何なんだろう?と考えるきっかけになってほしいというのが、わたしの願いです。
ちょっとしたことが後々に作用してきたりするので、お見逃しなく。たとえば、まだ20代前半の優希がなぜ『人生の日記』という言葉を使うのか、とかとか。
まずは、ポップコーンと優しさについての1話を見てみていただけたら嬉しいです。