動きを考える 第一稿目
2024.12.23
ようやっと、動きのデザインに関わる仕事に就くことができた師走の頃。
技術はまだまだだが、これから色々そういったデザインを作っていくだろう、という意気込みを踏まえて、「動き」について色々と考えていこうと思い立った。
「動き」とは、何か。
動きとは、四次元の概念だ。
三次元の空間に時間変化というもう一つの軸を付け足すことで完成する。
いかなる物質もミクロの世界で捉えれば、絶えず変動している。
全ての物質は「動いている」のだ。
と、強引に締めくくってしまえば、この想像は終わってしまうわけで。
僕が考えていきたいのは、「動き」はどんな影響を他に及ぼすのか、「動き」はどんな感情を想起させるのか、とかとかそういう複合的な関係だ。
僕が修士研究で考えてきたのは、「何かしら制御された動き」と「自然のようなランダムで、一見法則性のない動き」は、共存できないのか、という疑問だった。
簡単に言い換えると、機械的な一定の動きと自然の偶発的な動きが混ざり合った状態は存在するのか、ということだ。
しかし、この疑問は僕の頭をかき乱すこととなった。
そもそも、制御された動きとはどのような動きなのか、物理的に稼働しているロボットなどの一定の動きに自然の偶発的な動き(実物体として存在しているものならば、錆や摩擦などによる動きの変数が含まれているのではないか)が本当に含まれていないのか、、、などと、矛盾探しや粗探しになってしまい中々疑問の本質に辿り着けないままでいた。
とかく、「動き」とは非常に厄介なもので、言論で表現、伝達するためには言葉というロジックに収まりきらない曖昧で感覚的な部分を多く孕んでいる。
しかし、その感覚的なものをなんとか言葉で表現したい。
というより、自分で納得できる論理体系を構築したい。
そこで、身の回りにある動きを観察して、動きの構造を紐解いていけば、なんとなくの動きの相関図が作れるのでは、と思い至った。
今回は「水の動き」について、少し考えてみようと思う。
水は、流体というように、「流れる」という動きを見せる。
コップに水を注ぐ時、水は一本の滑らかな柱を形成して空間上を移動する。
これは、山の中の滝にも同じことが言える。
この時、水分子そのものは、物理法則によって時間経過と共に、放射線状に距離移動を行う。
注目すべきポイントは、水分子が集合した「水滴」がさらに集合した「水(流体)」の状態では、水そのものの動きは放射線状に動いて見えるのではなく、放射線状の一本の柱が揺れ動いているように見える、ということだ。
一つ面白い事例がある。
流体の速度や粘度を調整すれば、「流れ」という動きが静止して見える現象だ。
これは極端な例ではあるが、流体の動きがマクロの視点であると、如何に動いて見えないかがよくわかる例ではなかろうか。
「流れる」という動きは、物体としての動きの中で最も観測しづらいものの一つだといえよう。
初回から難しい動きを扱ってしまったことを少し後悔しながら、反面、流れの動きには不可思議な魅力があると再認識して、今日は眠るとする。