城の崎にて、檸檬
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。
これは、梶井基次郎『檸檬』の書き出しだ。
舞台は約100年前、大正時代の京都。
私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。
わたしもそんなふうに思うことがある。
梶井の小説『檸檬』は、だからと言って京都から出るわけではなく、
京都の街をぶらぶらした描写が書かれている。
いまは令和時代の京都。
わたしは梶井ができなかったことをしようと思った。
行き先は兵庫県の北部にある城崎温泉。
コンパクトな温泉街に日帰り入浴ができる外湯が点在している。
そこで、温泉に入っては街をぶらぶらして、また温泉に、
そんな休日を過ごそうと思ったわけだった。
小説『檸檬』が誕生する数年前、
城崎温泉が舞台となった大正時代の小説がある。
山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬城崎温泉へ出掛けた。
小説の神様と呼ばれた志賀直哉が書いた『城の崎にて』は、
この一文からはじまる。
病弱で借金取りから追われ短命だった梶井と、
裕福で電車に跳ね飛ばされても長生きした志賀。
対照的な人生でも同じ時代に生きた二人の小説からは、
なんだか同じ匂いがする。
梶井は京都を徘徊し、手にした檸檬を丸善(本屋)に仕掛ける。
志賀は城崎を徘徊し、手にした石を蠑螈(イモリ)に投げる。
梶井の徘徊スタイルはこのように描かれている。
何故なぜだかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗のぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕むしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀どべいが崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵ひまわりがあったりカンナが咲いていたりする。
城崎の街を梶井が歩いたら、どんな描写をしただろうか‥‥。
想像してしまう。
一方、志賀は、小説の終盤で、こんな描写をしている。
そんな事があって、また暫くして、ある夕方、町から小川に沿うて一人段々上へ歩いていった。山陰線の隧道(トンネル)の前で線路を越すと道幅が狭くなって路も急になる、流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までという風に角を一つ一つ先へ先へと歩いて行った。物が総て青白く、空気の肌ざわりも冷々として、物静かさがかえって何となく自分をそわそわとさせた。
わたしも、路地の奥へ奥へと階段や坂道をのぼっていくことにした。
すると、なぜか松尾芭蕉の句碑があった。
わたしの「城の崎にて、檸檬」の置き場は、ここだった。
芭蕉は江戸時代、梶井と志賀は大正時代、いまは令和。
俳句や小説とおなじように、写真も時代をつないでいくんだろう。
さいごは、舒明天皇の御代(1400年前) こうのとりが足の傷をいやしたことから発見されたといういわれにもとづいて名づけられた外湯「鴻の湯」温泉に入って、レモン色のトヨタシエンタを運転して京都に戻った。