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球場の『悪女』

【悪女】
 ・男を魅了し、堕落させるような小悪魔的な女性。男を手玉に取る女。

「…なるほど。」
東京ドームの外野席からスタンドを流し見ながら、スマホで言葉を確認し、そう呟いた。

だとしたら、あの娘は悪女なのかもしれない。

見てみなよ、あの弾ける笑顔。
そして階段を駆け上がるあのキレイな脚。
あんな細い足で、すごいでしょ。
歳は、大学生くらいかな?
あんな元気に走れないよ。真似できないな。

そして重い物を背負いながら、疲れを見せないその心。
ポニーテールもよく似合っている。
ツヤツヤな髪質が羨ましい。

あ、ほらまた、あそこのおじさんにも声をかけられて。
前も買ってなかったか、あのおじさん?
気持ち悪い…。
あんなおじさんに対しても、変わらない態度で、ビールを売るなんで、絶対ムリ!

今日だけで、一体、何人の男たちを手球に取ってきたんだ?
悪女だ、あれは、完全に悪女。

そして、そんなキミに魅了された人間がここにもいるんだよ?

あぁ、そんなに一生懸命に頑張っている様子を見せつけられたら、また、君にお金を落とさなきゃいけないじゃないか。

「すいません、ビールを一杯!」

気が大きくなったのか、思いの外大きな声が出てしまった。
ビールを運ぶ彼女を呼び止め、本日3杯目のビールを注いでもらう。

「いつもありがとうございます!」

3回目の眩しい笑顔!
なんて大きな目だ?吸い込まれてしまいそうになる。
8月だからか、汗だくだ。
ただ、その滴る汗すらも美しい!
あぁ、何回見ても可愛い!


正直、野球なんて数ヶ月前からどうでも良くなってしまっている。
今シーズンの始まった頃は、純粋にちゃんと野球を見ていた。
兄の影響で、少年野球をやっていたが、途中から周りとの差が出てきて、
中学で辞めてしまった。
ただ、野球を見るのはずっと好きで、特に巨人が好きだった。
選手としては、坂本選手が好きだった。プレーも顔もいい。

社会人になり、少し生活に余裕が出てきたこともあって、去年くらいから、ここ東京ドームに通っている。
最初は月に1度くるか来ないかくらいだったが、ここ2ヶ月くらいは毎週のごとく来てしまっている。

理由は簡単。5月のGW、運命の出会いをしてしまったからだ。
ビールの売り子の、この娘に心を持っていかれてしてしまった。
もう、最近の楽しみは野球なんかじゃない、彼女に会うことだ!

「おまたせしました!」

「あ、ありがとう。」
伏し目がちに、彼女に1000円を渡す。

「はい!お釣り、250円になります!」
彼女から、お釣りが渡され、その瞬間に少し、、、手が触れる。

柔らかい。可愛い女の子の手はやっぱり柔らかい。
最近思いついたのだが、丁度のビール代を渡すより、お釣りが出るように渡したほうが、彼女に触れるチャンスが多い。
これを思いついたのは革命的であり、天才的だ!
ただ、まだ目をじっと見ることが出来ない。
なぜなら、可愛すぎるから…。

また、階段を降りていく彼女の背中を眺めながら、ビールを飲む。

おいしい。

可愛い娘と会話をし、握手(仮)をしたあとのビールはたまりません!
750円で、こんなに可愛い女の子と会話が出来て、擬似的に握手に近いこともできる。そして彼女が注いでくれたビールが付いてくる。
「なんとか坂」もびっくりの超コスパが良いイベントじゃないか。
そして、場所は東京ドーム!
見てますか、秋元康さん!
この推しの子は最初から東京ドームでデビューしてるんですよ!
そして、多くのファンを喜ばせてますよ!
この娘をアイドルに推薦します!


「今日も巨人勝ったなー」
「坂本のファインプレーも良かったよな!」
「このまま優勝ありそうだぜ!」


ーーーーそうか、そんなファインプレーが出たのか…。全っ然見てなかった。

隣を歩く仕事帰りのサラリーマンっぽい集団の会話を聞きながら、ドームの出口へと向っていた。
結局ビールを6杯も飲んだせいか、頭がぼーっとしている。
最近はずっとこんな調子だ。試合の結果くらいしかまともに見ていない。
そして、いい感じに酔っ払って帰路につく。

今日は金曜日。明日はすることも無い。
や、明日も来ちゃおうかな…。

そんな事を考えながら、千鳥足気味で、ドームの入り口付近についた時、胃の辺りに、違和感がー

『やば、…ちょっと吐きそうかも…。』

そう思ったときには、喉の近くまで、お腹の中のものがこみ上げて来ていた。

『トイレ、トイレは?!…あった!』
急ぎ足でトイレに向かう。

球場には男が多いせいか、すぐに入ることが出来た。
個室に入った途端、今日のビールが逆流してきた。


ーーーー ジャー
ーガチャッ

危なかった、間に合った…。
随分長く、トイレで格闘してしまった。

…はぁ、せっかく、彼女から注いでもらったビールが…。
少し残念な気持ちになりつつ、再び、出口へと向かう。


あー、どこか、球場以外で彼女に会えないものか。会って…会って何を話そうか?
仕事のこと?巨人のこと?
そんなつまらない会話はダメだな、あ、シャンプーの種類とか?

いや、その前に名前を聞かないと。その後に、色々会話を弾ませよう!
彼氏とかいるの?とか…。
ダメだ、ずっと『可愛いね』って言い続けてしまいそうだ。
これだけ会話もしてるし、ビールも買ってる!認知してもらえてると思うんだけど…。
あーーーどこかで会いたいな。


そんな妄想にふけりながら、かなり人の減って来た東京ドームから出て、
駅に向かって、ゆっくりと歩いていく。
8月の真っ只中。夜といえど、流石に暑い。でも、今日も彼女と話せたおかげで、風が心地良い。
ただ、先程、吐いてしまったからか、口の中が少し気持ち悪かった。

コンビニで水でも買おう。
そう思い、近くのコンビニに立ち寄った。

二日酔い防止のためのヘパリーゼと、水を買いコンビニの前で水を飲んでいた。

その時

「明日もシフト?」
「そう、今週全部入ってます…、超疲れる…。」
「まじかー、大変だねー」
「え、絶対思ってないですよね?」

聞き覚えのある声。
自分が歩いて来た道の方を見ると…あの娘だ!
憧れのあの娘が、私服でこんなところに!

上から下まで、新鮮な格好だ!
バイト終わりだろうか、今は髪の毛を下ろしている。
脚がよく見える短いホットパンツに、スタイルの良さが際立つTシャツ
靴も、バイトのときと違って、可愛いサンダルだ!
そして、リュックを背負ったあの娘がすこし向こうから歩いて来ている!

バイトの仲間だろうか、楽しげに会話をしながら、そのままコンビニの中へ入って行った。
窓の外から、その背中を目で追う。
彼女がちらりとこちらを見て…目があった、気がする、そして…笑った?!

口角を少し上げて。そっと微笑んだたあの娘の笑顔にドキッとして、
急いでその場所から立ち去った。

彼女の匂いだろう、シャンプーか、制汗剤か。
独特の甘くて良い香りが、鼻をくすぐった。

駅に向って、急いで電車に飛び乗った。
気付いてくれてた!
自分だって、わかった上での笑顔だあれは!
あの笑顔で、一体何人の男たちを落としてきたんだ?
『悪女』だ、やっぱり。
可愛すぎる。あんなのマネできないな、わたしには…。




「まじかー、大変だねー」
「え、絶対思ってないですよね?」
「思ってるよー!」
「・・・・え?」

コンビニに入ったあと、気になってちらりと外を見ると、…目が合った。

「…ヒッ!」

「どーしたのヒカリ?」
急に声を上げた私に、先輩が声をかけてくれた。
もう一度、窓の外を見たが、アイツはもう、そこには居なかった。

少し前から、私にしつこくアピールしてくる客が居た。
バイトのエリアの関係で、いつも会ってしまう清潔感のない、あの客…。

先輩に、今まで受けたセクハラまがいの行為や、感じる視線の話を打ち明けた。

「なんか、ほんとにずっと見てくるんですよ?手とかも触ってくるし!」
「そんな、たまには有るって。私だってあるもん」

コンビニで、商品を選びながら、私は思わず愚痴を漏らしてしまう。

「や、ほんとに何か気持ち悪いんですよ…。私からしかビール買わないし。
ほかの子から買ったたとこ見たこと無いし…。」
「あるあるだよ、ウチらのバイトあるある。『ヒカリさんご指名入りましたー』って感じでしょ?」
「もーふざけないでくださいよ!」

そんな事を話しながら、レジを済ませて、コンビニを出た。
夏のせいなのか、アイツと目が合ってしまったせいか、ぬるい風が気持ち悪い。

「でもさヒカリ、私達の仕事は、そーゆー男たちがいるからこそ、稼がせてもらってるんだから、感謝しなきゃ。ね?」

「……先輩。」
「なに?」

「男だったら良いんです…。」
「え?」

…男だったら

アイツの顔が頭に浮かぶ。

「さっき言ってたアイツ!女なんです!
なんか、舐めるような、気持ち悪い目で、私を見てきて!
なんか、髪の毛もベタついてるし、顔は良く見えないし!デブだし!
同じ女だからセクハラにならないだろうと思ってるのか、めっちゃ触ってくるし!今日だってそうでした!」

「マジか…。それはゴメン…。」
「いえ、良いんです…。」

少し大きな声を出して、私はスッキリした気がした。
しばらく、無言のまま歩く。

「あれだな。なんか、そいつは…あれだ。」
「え?なんですか、先輩」
「そいつは『悪女』だな。」
「悪女って。男を手のひらで転がすような女のことですよね?アイツのどこが!」

思わず笑ってしまっている私の顔の前に、先輩がスマホの画面を突き出した。

【悪女】
・ 容貌の醜い女。
・心の悪い女。性質のよくない女。
・男を魅了し、堕落させるような小悪魔的な女性。男を手玉に取る女。

「ね?二つも当てはまる。」
「先輩、物知りですね…。」
「ま、なんかあったら、アタシが守ってやるよ!」
「その発言、ワタシが男だったら惚れてましたよ?」
「じゃ、アタシも悪女だな!男を魅了しちゃってるもんな!」


あなたにとっての悪女とは。
どの『悪女』でしょう?

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