ルーズソックスを履いたライオン(前編)
ライオンというのは、オスが強くメスや子供が立場が弱い生き物とされている。
オスは群れや家族を守り、狩りや子育てはメスに任せる。
うちの家庭はどうだろう?
男の僕がいて、奥さんがいて娘がいる。
何かにつけて結託をする女性陣の圧力に圧倒されてしまうことが多くある。
ただ、僕だって、ピンチになった時は、命をかけて家族を守る覚悟は持っている!
少なくとも、まだそんなピンチに陥ったことは無いのだけれど。
どうしてライオンの話をしたか。
それは、うちの家族はなんの偶然か、全員が【獅子座】なのだ。
僕は8月の半ばで、奥さんは7月の末の生まれ。
娘はその真ん中で8月の上旬だ。
全員どこか自信家で、目標に向って行動する様子は、まさに獅子座の性格と言っていいだろう。
ただ、全員がリーダーシップを発揮したり、主導権を握りたがるところがあって、時々喧嘩になることもある。
いつも僕が折れて奥さんの意見が採用されてしまうのでけれど、またそれは別の話。
話は変わって、僕は都内の商社に勤務している。
35の時に転職をして入ってきたこの会社も、今年で勤めて10年になる。
性格や真面目な性格もあってか、部下や上からの評価も割と良い。
このまま、出世街道を進んでいきたいと思っていた、そんな10年目になったばかりの4月、事件は起きた。
「今日から、ここでお世話になります。よろしくおねがいします!」
会社の朝礼で紹介されたのは、僕と同じくらいだろうか、大柄でガッシリとした男が入社してきた。
広い肩幅に、少し濃いベージュのスリーピースのスーツ。
自身に満ち溢れた顔に、逆立てた髪。もみあげから繋がった少し長い髭は、どこかライオンを想像させた。第一印象は『恐い』だった。
「彼には、今日から営業部の部長として勤務してもらう。みんな、しっかり彼の言うことについていくように。」
まさかの上司…。僕は少しめまいを感じた。
先々月、2月末に僕の上司が退社し、空いていた部長職。
このまま順当に行けば、自分がなるべきポジションに、まさかの外からの人間が入ることになるなんて…。
落ち込んでも仕方が無いのはわかっているのだが、その日の午前中は上の空で仕事をしてしまった。
上司が変わってから5ヶ月。
8月に入って、夏も本番。毎日暑い日が続く。
僕の仕事は特に変わることはなかった。変わったことといえば、毎日社内での怒声が増えた事くらいだろう。お察しの通り、あのライオン上司だ。
彼の仕事ぶりは、お世辞にも良いと言えるものでは無かった。
「数字足りねぇよ!もっと売ってこいよ!!営業は売ってなんぼだろ!」
「え?仕事が終わらない?じゃあ、早く来るでも、残って仕事するでもしたら良いだろ!無能は人の倍動か無いと金になんねぇんだよ!」
令和の時代を逆走するような昭和マネジメント。
数字に厳しく、人にも厳しい。
この5ヶ月の間で、営業部の売上は少し上がった。
その反面、部署内の士気は下がり、そして部署の人数はしっかり減った。
ライオン上司のパワハラに近いマネジメントで、3人の営業が会社を去っていった。
また、その高圧的な態度と、大きな声が苦手だと言って、1人の事務の子が辞め、もう1人は休職している。
先程席に戻ってきた、向かいの席の3年目の男も朝から顔色が悪い。
可哀想に、朝からライオン上司のパワハラに近い詰めに捕まっていしまったのだから仕方ない。
去年までは、のびのびと仕事をしていて、もっと明るく、楽しそうに仕事をしていたのに。辞めるのも時間の問題かな…。
「何ボーッとしてんだ!おら!電話まわせよ!」
いつの間に隣にいたのだろう、ライオン上司が隣に立っていた。
「はい、すみません。」
僕は慌てて、受話器を手に取る。
「ったく、今日は俺は大事な用事が有るんだ!早く数字を片付けろ!」
先程も言ったが、ライオン上司は数字と人にはとても厳しい。
しかし、自分には甘々な性格で、しっかりと定時には帰っていく。
クレームの対応なんかは、全て部下に回してくる。
僕も、何度か彼のクレームのために頭を下げたことがある。
なんで、この人を採用したのだろう。不思議でならなかった。
地獄のような時間が今日も過ぎ、定時の18時になった。
まだ、売上は終わってないし、明日の会議の準備も残っていた。
「あとの事は、お前に任せたから。明日の会議の資料と必要なもの用意しとけよ。あと、いつも通り終わったら俺にLINEよこせ。上に業務報告をしないといけないからな。」
一息で、そう言い切ると、何の用事があるのか、彼は足早に部屋から出ていった。
ライオン上司から引き継いだ仕事の数々を片付けて、僕が会社を「あー疲れた」といって出れたのは、22時を回った頃だった。
そこからまっすぐに家に帰り、23時前に家につくと、奥さんと娘がテレビを見ながら楽しそうに話していた。
「いま、流行ってるんだよね!」
「懐かしいなー。ルーズソックスなんて、ママたちが高校生とか、大学生くらいの時の流行のものじゃない。」
「なんか、平成の時のものが可愛いんだって。みーんな履いてるよ、ルーズソックス。」
「ワタシが昔に履いてたのとか、実家にまだ残ってたりして。聞いてみようかしら。」
「でも、ママたちの時のルーズソックスよりも短いんだよ、今のやつは!」
「そーなのね。ママたちのルーズソックスは1m以上あったな。よく友達を縛ったりして遊んだわ」
『平成レトロ』を取り上げていたその番組では、ルーズソックスの特集をしていた。
奥さんの恐ろしい話はさておき、うちの娘も、少し前から、あの独特のシルエットのクシャッとしたソックスを履いて学校に行っている。
聞くところによると、今は白だけではなく、赤や黄色、黒など様々な色のルーズソックスが有るらしい。
ただ、その中でも一番「エモい」のはやっぱり白だそうだ。
そんな女性陣の会話を聞きながら、着替えようと部屋に向かった背中に
「あ、チェキだ!可愛い!友達も『今度買ってもらうんだ』って、さっきLINE来てたんだよね〜。あの子、誕生日でも無いのに良いなー。ねぇーお父さん、アタシの誕プレ、これがいい〜。」
という声が飛んできたので「わかったよー」と返した。
「やった〜!ありがと!あ、それでね、TikTokの子なんだけどー」
と、さらに盛り上がる会話を聞いて、なんて幸せな時間なんだろうと、会社とのギャップを思い返しつつ、自室へ向かった。
さて、約束をした以上、可愛い娘にはしっかりとプレゼントを買わなければならない。今日の仕事は早く終わりそうだから、帰りにチェキを買って帰ろう。そんな事を考えながら、仕事を進めていると、えらく上機嫌な、あいつの声が聞こえてきた。
「知ってるか?最近は平成に流行ってたものがまた流行ってるんだ!」
昨日のうちと同じ番組を見ていたのだろうか、ガハハと大きな口を開けて自慢気に、近くの女性社員に話しかけている。
「ルーズソックスを履いてる子が多かったりな。【たまごっち】とかもな、知ってるか?」
知ってるに決まっているであろう、話しかけられている、新卒の女性社員は引きつった笑顔で、必死に相槌を打っていた。
懐かしい名前を聞いた「たまごっち」。そんな物も流行ってるのか。昨日の番組では見なかったな。もし、番組で取り上げられていたら、きっと娘にそちらもせがまれていただろう。
なんで、あのライオン上司が、そんな事を知ってるのだろう。と一瞬思ったが、娘の誕生日のために、早く仕事を終わらせて、チェキを買うことを思い出し、仕事に集中をした。
19時。なんとか仕事も早く終わらせることが出来たので、近くの家電量販店へ向かった。
カメラ売り場を目指し、エレベーターを上がる。
売り場に着くと、昨日の番組の効果なのか、それとも時代に乗ったからなのか、かなりの数のチェキが並んでいた。
色以外の違いがまるでわからない。僕は近くの店員に声をかけた。
「すみません。これ、何か違いが有るんですか?」
「あ、こちらはですね。まずカメラのレンズがーーー」
聞いたことが有るような無いような単語を並べられながら、その店員は早口だが丁寧な口調でチェキの説明をしてくれた。
なるほど。と言いながら、僕もその話を何とか理解し、1台のチェキを選んだ。
「これ、プレゼント包装でお願いします。」
「承知いたしました。やっぱり、これくらいの男性は娘さんや親戚へのプレゼントなんですかね。すごい売れるんですよ、これ。」
「あ、そーなんですか。」
「さっきもね、仕事帰りですかね、大柄なスーツのお客さんが来て3台も買っていきましたよ。」
「流行りらしいですからねー。」
その大柄な客は、チェキを買う前に「たまごっち」も買っていたらしい。
店員さんにあなたも、一緒に買ったら良いんじゃないかと、強くおすすめされるのたのだが、うまく愛想笑いを返しておいた。
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