際限のない知的好奇心と30年付き合ってきた
#自分語り #チラ裏
前回の記事で自己実現の欲求が僕を駆り立ててきたと書いたが、もう一つの行動動機である『知的好奇心』について書いておきたくなった。
母親などの話によれば、おそらく自我が芽生える以前から知的好奇心ドリブンな人間であったと認めざるを得ない。
母曰く、幼少期は車のナンバープレートのひらがなに興味を持ち、早くして亡くなった祖父の葬式では十三仏(?)暗唱していたそうだ。
(今となっては全く記憶にない)
記憶に残ることでは、
小学生時代の珠算で計数や計算本質への好奇心に始まり、中高における理数系科目への好奇心、大学での半導体物性と量子論への好奇心、音楽創作、理論や演奏に関する好奇心、就職以降のソフトウェア工学やコンピュータへの好奇心、インターネットカルチャーへの好奇心、社会人での未知の土地への旅に関する好奇心、政治や社会、仕事に関する好奇心、そして最近は、明治以降の近現代史に関する好奇心である。
(東南アジアへの旅行がきっかけで、日本への印象や歴史について知りたくなったため)
人生において、「世界の謎」がなかった時期が一度もなく、際限なく湧き続ける「知的好奇心」と末永いお付き合いをしてきた。
進学や就職のような人生の岐路に立ったとき、その判断材料になっていたのはその「知的好奇心」に他ならず、長期的な人生設計があったわけでも、崇高な目標があったわけでもない。
そんな経歴があるため、どうしても散漫な興味と浅い『にわか』知識止まりになっていることが、今の弱点になっているとヒシヒシと感じている。
とりあえず書きたいことはここまで。
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追記:
要するに、
『未知』という名の『娯楽』を食い漁ることで、暇を潰してきただけなのではないか
という感覚がどうしても付いて回っているのである。
言ってしまえば、世界を傍観し『何か面白いネタは無いか』という目で見、それらを食い潰して生きてきたでもいうべきか。
そして、この文章を客観的見てみると、なかなかヤバいことを書いている気がする。
割と長いこと真面目に分析して、思ってきたことなのだが、言語化するとちょっと強烈ですね(笑)