物語の途中から。
さくじつのブログでは、映画館にて
『THE FIRST SLAM DUNK』を観たことを申しまして。
そして、そのブログのなかでね、
原作漫画『SLAM DUNK』の連載が終了した当時、
中学3年生だったぼくは、連載の
第1回からではなかったけれども、
物語の途中から、毎週、
「少年ジャンプ」でたのしみに読んでいた、
ってゆうのを書きました。
小学生中学生のころのぼくは、
他人と比べれば、あんまり、
漫画を読んでいなかった、と思う。
それでも、ジャンプはだいすきで、
家族でよく訪れていた定食屋さんで
最新号のジャンプを読むのがたのしみだった。
そしてたしか、おそらく、
小学6年生のころだったと思うけれども、
じぶんのおこづかいでジャンプを買うようになって、
いろいろ読むようになり、そのとき、
『SLAM DUNK』も読み始めたんだった。
このときのことはさ、なんだか、
とっても憶えているんですが。
その当時、『SLAM DUNK』の連載は
「陵南」対「海南」の試合のときで、つまりはさ、
主人公たちが在籍する
「湘北高校」のシーンではなかった。
それでも、なんだか、とってもおもしろくって、
仙道、すげー! 牧、すげー! とか思いながら、
漫画を読み進めた。
そして、さらには、
この試合の裏の場面では、湘北の桜木花道が
体育館でシュートの練習をしていて、
その桜木の練習を見ていた安西先生が、
突然、倒れた。
このとき桜木がね、倒れた安西先生に対して
「オヤジ、オヤジ!」とのように言うから、
これまでのストーリーを知らないぼくとしては、
この人(桜木)の父親が倒れたのかなあ?!
と思ったんだった。でも、そのあとには、
桜木の自身の父親が倒れたときの回想が描かれたことによって、
この場面で倒れた人は「監督」で、そして、
桜木という人物が物語の「主人公」なのだろうなあ、
って考えたんだった。
なんとゆうか、この時点で、もう、
『SLAM DUNK』という物語に、
どっぷり浸かってしまった。
ぼくとしてはさ、
『SLAM DUNK』を読み始めたのが、物語の主役ではない
「陵南」対「海南」のとき、ってゆうのは、
とっても印象的で。それはつまり、
たとえば、おもしろい作品とは、
主役たちがその場で存在していなくとも、
おもしろい。そしてまた、
これまでのストーリーや、物語のシステムや、
登場人物の関係性などを知らなくとも、
どんな途中の場面からでも、ぐっと、
物語の中へと入り込むことができる。
ということをね、この当時のことを振り返りながら、
今、また、あらためて思ったのよね。
でも、ある意味ではさ、
どんなことでも、たいてい、
途中の場面から入り込むふうになっていて。
それは、たとえば、
漫画でも、映画でも、ドラマでも、小説でも、
そのスタートの段階において、
主人公が生まれた場面のことから、
描かれていなかったりもするわけだし。
もしくは、ぼくら人間だっても、
全員、生まれる前から、
この社会のシステムは存在していたわけで。
言い換えれば、人は誰しも、
世界の歴史という物語の中へと、
途中から入り込む、というふうになっている。
そんなこともね、今、
なんだか、思ったんだった。
令和4年12月5日