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鏡なんて無くて良いや。(『Mirror』から『LOST』へと)

あなたが誰で何の為に生きてるか
その謎が早く解けるように
鏡となり傍に立ち あなたを映し続けよう
そう願う今日この頃です

Mirror/Mr.Children

Mr.Childrenの1996年リリースアルバム
「深海」の5曲目収録、及び、ベストアルバム
「Mr.Children 1996-2000」でも収録されている
『Mirror』という曲のことをね、ぼくはじつは
その歌詞のことってあんまりよくわかっていない。

おそらく、この『Mirror』とは
歌詞の中でも歌われているような、いわゆる
ラブソングなのだとは存じますが、でも、
ともすれば、この上で引用いたしました
あなたの「鏡」となる、というのが
どういうことなのかぼくにはわからなくって。
あなたが居て、その正面には
わたしが居て、わたしは
あなたの「鏡」となり、
あなたを映し続ける、という状態が
ラブソング、つまり、愛であるのかどうか、
ぼくとしてはうまく解釈できないんだ。

歌の解釈についてネットで検索してみると、
たくさんの方々が、ミスチルの
『Mirror』のこの歌詞が素晴らしい!
とのように言われているので、つまり、その状態が
愛として素晴らしいものだと思うですが、
でも、ぼくにはよくわからないのよね。

そして、ならば、この箇所のことを
ぼくなりの解釈で申しあげますと、
『Mirror』つまり「鏡」が、
わたしの目の前にあって、
わたしはその鏡を眺めながら、
じぶん自身の顔及び身体を見ている。
つまりはさ、この歌の中で登場する
「あなた」とは「じぶん自身」であって、つまり、
誰で何の為に生きてるか?
という謎を抱えているのはじぶん自身であり、
その謎が早く解けるように、というのを
鏡の中のじぶん自身に対して思うかのごとく、
わたし自身が「鏡」となり、
じぶん自身を照らし続けよう、というふうにして
わたし自身のことを願う曲なのじゃあないかなあ、って。
さらに申すとすると、この直前の箇所で歌われる
【人前で泣いたことのない そんな強気なあなたでも
 絶望の淵に立って迷う日もあるでしょう】
という「あなた」もまた、鏡の中の
じぶん自身を眺めながらそう考えている。。。

あらためてこのことを思ったのはね、
Mr.Childrenの昨年リリースの最新アルバム
「miss you」の5曲目で収録されている
『LOST』の歌詞では、、

「くたびれた顔してるな」って
顔を洗う度思うんだ
鏡なんて無くて良いや
こんな自分を もう見たくない

LOST/Mr.Children

‥‥とのように歌われているから。

アルバム「深海」以後において、
2001年リリースのシングル『優しい歌』では
【後悔の歌 甘えていた 鏡の中の男に今
 復讐を誓う】、
2007年リリースのアルバム「HOME」収録の
『Wake me up!』では
【吐き気をもよおしそうな
 鏡の中の湿っぽい顔した自分に手を振るよ】、
2010年リリースのアルバム「SENSE」収録の
『ロザリータ』では
【この部屋の鏡に映る退屈な男
 君の部屋の鏡ならマシに見えたのに】、
2020年リリースのアルバム「SOUNDTRACKS」収録の
『君と重ねたモノローグ』では
【鏡に映った自分の
 嫌なとこばかりが見えるよ
 恵まれてる 違う誰かと
 比べてはいつも 諦めることだけが上手くなって】、
とのように歌われていたけれども。たとえば、
「彼岸性」が表現されているとされる前作アルバム
「SOUNDTRACKS」を経て、このたびのアルバム
「miss you」収録曲の『LOST』では、
くたびれて、かつ、齢も取った
じぶん自身の顔を、鏡で
【もう見たくない】と歌われる、というのは
やはりすごい変化なのだと感じられる。

でも、それこそが
生きてゆくことなのだとも思える。

Mr.Childrenのメンバーはみなさん、
ぼくより一回り上の年齢で、
そして、現在42歳のぼくもまた
これから生きてゆくなかでは、
齢を取って、くたびれて、老いてゆくでしょう。
そのことをね、『LOST』及び
アルバム『miss you』の収録曲を聴きながら、
ぼくは感じ取ろうとしている。。。

たとえば、今のぼくは
鏡の中のぼく自身を見ながら、
なにを思うんだろう?!

放った希望の光の矢も、
歪んで闇に消えてったとしても、
それでも、ぼくもまた、
星でも眺めて暮らしていたいな。

また 今日も 立ち尽くしている!!!!

令和6年10月13日