夢と、就職と、高速道路の加速帯。
ぼくはこれまで、大学卒業後に入った会社、および、
その後の専門学校卒業後で入った会社を、
1年待たずとして辞めてしまった。そして、
それからの9年間、静養のような生活をしながら、
今では、有難いことに縁あって
パートとして勤めている学習塾講師のお仕事、
今月末で3年目となるー。
というのを、きのうのnoteで書いたですが。
この9年間のあいだ、
いや、これは今になってもだけどね、
どうしてじぶんはあのころ会社を辞めたか?
みたいなことは、よく考える。
たとえば、今のところ考えているのは、
ぼくはじぶんが10代だったころ、
「じぶんがどうなりたい?」とか、
「じぶんはどうありたい?」みたいなことを、
ぜんぜん考えてもおらんかった。
夢、みたいなのもあんまりなかったし。
たとえば、なりたい職業、ってゆうのも、
「建築士になりたい」と思って大学の建築学科に入るも、
じぶんにはちがうんじゃあないか?
って在学中に感じて。けっきょく、
その、建築士の夢、みたいなのは、
じぶんでかんたんにこしらえた夢だったんだろうな。
早い話しが、ぼくは、じぶんのことを、
なあんにも考えていなかったの。
そして、もうひとつ、
ぼくが考えている理由、というのがさ。
たとえば、「高速道路の加速帯」ってあるじゃん。
高速道路の道路へ合流するときには、
これまでの速度から高速道路の速度まで
「加速帯」でスピードをあげながら、
合流する。ってゆう。
この比喩でたとえてみるとね、
就職するときなどの組織へ入ろうとするときには、
会社などの組織のなかでは、
その組織内のスピードで物事は動いていて。
だからこそ、「加速帯」的な場所で、
その組織のスピードまでじぶんを加速させる。
つまりはさ、まずは、
速度を合わせようとすることがだいじであって。
その「加速帯」というのが、ある意味では、
入社後の「試用期間」みたいなことだと思うですが。
ぎゃくを言えば、だれかが、
じぶんたちの組織へ入ってくるようなときには、
たとえば、「高速道路」のインターチェンジ近くにて、
「走行車線から追越車線へと移る」みたいにして、
なるべく、合流の車が入りやすいようにしながら
運転するけれども。それとおんなじように、
その人が組織内へと入って来やすいように、
追越車線のほうに移る。的な?????
そういうことがあると思うんだけれども。
でも、その組織内の速度に合わせるために、
じぶん自身を「加速」させる。というのは、
じぶんの「アクセル」は、
じぶんで踏まないといけないわけで。
じぶんの「アクセル」を、
だれかが踏んでくれるわけじゃあない。
先方としてみても、できるのは、おそらく
「走行車線から追越車線へと移る」
というところまでであって。。。
‥‥というような、そんな「速度」のことをね、
ぼくは、知らなかった。もしくは、
「じぶんのアクセルを踏む方法」を知らなかった。
って、今のじぶんなりには考えているの。
ただ、待っていれば、
合流できるんじゃないか。みたいな。。。
でも、とは言いつつも、ぼくは、
ぼく自身のこれからのことだっても、
「じぶんはどうなりたいか?」というのも、
じつはよくわかっていない。
たとえば、ドラッカーの言っていた
「何をもって憶えられたいか?」
という問いのことも、まだぜんぜんわかっていない。
この「何をもって憶えられたいか?」のこと、
折に触れながらでも考えてたい。
令和2年1月26日