20200110空

その土地の戦争の記憶。

1月6日のnoteでは、初詣で訪れました
豊川稲荷境内近くに在る豊川海軍工廠爆撃の「供養塔」、
および、戦没した動物の「供養塔」のこと。
1月8日のnoteでは、村上春樹さんの小説『1Q84』より、
物語の冒頭で流れるヤナーチェックの
『シンフォニエッタ』という曲が作曲された「1926年」とは、
日本では大正天皇が崩御され元号が「昭和」に変わった年、のこと。
そして、さくじつのnoteでは、
おなじく『1Q84』を読み返しながら、
内田樹さんの著書『街場の戦争論』でのことを思い出したこと。

これらのことを思いながら、今のぼくは、
じぶんなりにではあるけれど、
どうしても「戦争」のことを考えている。

このごろ、いちばん思うのは、
「その土地の戦争の記憶」
と呼ぶかのようなものなのですが。

たとえば、うえでも記しましたが、
ぼくの住んでいる愛知県豊橋市のおとなり豊川市には、
かつて「豊川海軍工廠」という日本海軍の施設があり、
その施設が爆撃に合い、たくさんの方が亡くなられた。
このときの惨状として描かれた絵画作品や写真等を、
豊川市の美術館「桜ヶ丘ミュージアム」にて
観たことがあるのですが。

この海軍工廠がかつて在った場所、
現在では、企業の工場や自衛隊の駐屯地が在って。
周りの住宅地とはちがい、なんだか、
このあたりだけだだっ広い直線の道路が引かれ、
そのふんいきはすこし異質のように感じられる。
ぼくはのちにこの場所が「豊川海軍工廠」の跡地だと知り、
ある意味では異質、というのも納得できるやもしれない、
と思ったことがある。

また、たとえばぼくの住む豊橋市でも、
空襲が在ったというのは聞いたことあれども。
くわしくは、知らない。

1945年8月14日、豊橋市と田原市を結ぶ私鉄の
「渥美線」の電車が攻撃を受け、
学生を含む十数人が亡くなられた。
というのは、数年前に知った。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんが、
後藤さんのご出身地である静岡県島田市では、
「模擬原爆」という爆弾が投下され、亡くなった方々がいる。
というのをおっしゃっていて。
ネットで調べてみれば、島田市だけでなく、
愛知県では、春日井市、名古屋市、豊田市、
そして、全国の都市でこの爆弾が投下されている。

このことを知って、ぼくには、やはり、
知らないことが、たくさん、たくさん、あるんだ。
と感じた。

ぼくは、2歳半ぐらいから小5の終わりまで、
愛知県岡崎市に住んでいて、
小6からここ豊橋市に引っ越してきた。
そしてまた大学生のときはさ、通っていた大学がある
群馬県前橋市で住んでいたけれども。
ぼくがかつて住んだことのある「岡崎市」や「前橋市」では、
はたまた、現在住んでいる「豊橋市」でも、どういう
「その土地の戦争の記憶」が在ったかをよく知らない。

住んでいた当時には、そんなことは、
調べようともしなかったし、
もっと言えば、考えもしなかった。

今ならば、ネット検索をすれば、
出てくるからさ。。。

高校のときの友人が、昨年から海外赴任で、
単身ではなく家族といっしょにハワイで生活をしている。
先月ラインで「カメハメハ大王像」の前で撮った
家族の写真を送ってくれた。

「カメハメハ大王像」って、
ネットで調べてみればいくつかあるらしくって。
彼らが訪れたその像は、ハワイ島カパアウの像らしい。

彼が送ってくれたこの画像を眺めながら、ぼくはふと、
「真珠湾」ってどこにあるんだろう???
と思った。
グーグルアースで見てみれば、
ハワイの「オアフ島」に在るのだった。
ハワイ島カパアウにある像とは別の
ホノルルに建てられている「カメハメハ大王像」とも、
近くではないが、距離で言えば10kmぐらいなのでしょうか。

ぼくは「真珠湾(パールハーバー)」が、
こんなハワイの市街地とも呼べるかのような場所に
在った、なんて、
恥ずかしながらまったく知らなかった。

また、「真珠湾」だけでなく、
「ミッドウェー諸島」も「硫黄島」も「ガダルカナル島」も、
どこに在るのかを知らない。

もっと申しあげるならば、
「広島」や「長崎」での原爆のことや、
「東京」の空襲のことも、よく知っていない。

知らないことだらけなことに、なんだか、
愕然ともする。

映画『この世界の片隅に』では、
広島県呉市の空襲と、
呉から見える原爆の炸裂の景色を観たのだった。
そのシーンを観ながら、ぼくは、
呉市と広島市との距離を想像した。

日本国内だけでなく、世界各地で、
「その土地の戦争の記憶」があり、
でも、それらはすべて、ぼくの想像を絶する。

想像を絶しながら、ぼくは、
アジカンの『No.9』を聴く。。。

ミスター・パトリオット もう誰も泣かせないで

令和2年1月10日