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分断。

世間には、
あらゆる意見があって。
その意見に対する
さらなる意見も、また、
世間では飛び交っている。

さっこんでは、
思想の「分断」が顕著になっている。
と、ニュースでも聞くけど。

反対意見同士が、分断せずに、
手を取り合っていた時代があった。
ということなのだとすれば、もう、
その時代のことを想像できないな。

たぶん、おそらく、
「あらゆる意見がある」というのは、
しょうがないことで。たとえば、
意見や思想を持つ、というのは、
その人の「状況」や、
その人の「性質」や、
その人の「価値観」や、
その人の「ルーツ」も関係しているだろうし。
ある人が、その意見や思想を持つことには、
必然性があるんだろう。

そういうような、
「あらゆる意見がある」ともすれば、
ある意味では、「分断」も、
いたしかたないような気がする。

だけれども、「分断」してしまったとしても、
国のどこかでは、星のどこかでは、
ちがう意見を持っている人がいて。
人同士が、ほんとうに、かんぜんに、
分断しているわけではないから。
こわいし、たいへんだし、むつかしい。

ぼくとしては、
分断したり、対立したり、
分かり合えなかったりすることは、
もう、どうしようもないことだし。
あきらめたい、と、想いたいけれども。

ちがう意見を持つ人同士で、
対立しながらでも、分断しながらでも、
議論し合ったり、討論し合ったり、
もっと言ってしまえば、
批判し合うことは、ひゃっぽゆずって、
ありうるんだとしても。

たとえば、
ちがう意見を持つ人のことを、
「バカにする」ってえのは、
いやだなあ。と感じるし。

ちがう意見の人から、
「バカにされる」というのも、
ぼくは、いやだ。

「バカにする」ってゆうのは、
「その意見は間違っていると思う。」
という意見を、相手へ伝える。
みたいなケースとはちがって。

嘲笑する、というか。

見下す、というか。

「否定」や「批判」もね、
いやと言えばいやだけど。
「バカにする」というのは、
ものすごくいやだなあと思っている。

とは言ってみても、
そう言うぼくも、だれかに対して、
バカにするように
言うこともあるだろうから。
ぼくだっても、どうしようもない。。。

令和3年1月10日