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闘いの最中での一息つくような時間のこと。

昨日のブログでもすこし申しあげましたが、先日、
星野源さんの著書『いのちの車窓から 2』を読みました。
この書籍が刊行されるのが発表されてから、
前著の『いのちの車窓から』をね、以前は
図書館で借りて読んでいたと思うですが、
このたび、文庫を購入して読んでからこの
『2』も購入しまして読了いたしました。

星野源さんのこと、ぼくはいろいろ
くわしく存じているとは言えないので、
ファンとも名乗れないと思っておりますが、
でも、やっぱり、
星野源さん、好きだなあー。
そして、エッセイ集『いのちの車窓から』と
『いのちの車窓から 2』素晴らしかったです!

ぼくが感じている星野源さんのイメージとは、
「闘う人」だと存じあげます。
闘う、とは言えども、もちろんそれは
暴力によって行われるものではなく、
なんと申しあげますか、つまりは、
想像力によって闘われている、と感じます。
だれと闘っているか、というのもね、
うまく言えないのだけれども、たとえば、
好きなものやことや人を脅かしたり、もしくは
好きな場所を奪おうとする存在と闘っている、
というふうにね、ぼくは
源さんの作品を鑑賞しながら存じます。

ぼく自身が、源さんのことをいつごろから
そのように感じるようになったか、
ってえのは定かではないですが。
たとえば、2015年リリースのシングル
『SUN』を初めて聴いたとき、
とってもとっても感動いたしまして。
そのこともね、でも、その以前では
源さんの音楽、素敵だとは思いながらも、
ぼく自身としては、なんとなく
マニアックと申しますか、つまり、
深く潜るかのような作品と感じておりました。
そして、けれどもその後、
『SUN』では一聴してすぐ、この曲は
ポップミュージックの歴史的名作だと思いながら、
今聴いてもほんとうに素晴らしいと感じます。

この著書でも書かれているとも存じますが、
源さんは、そのころから世間の
注目を浴びるようになり、そのなかでは
つらさのようなものを思われながら、
また、そこから
うえのところでも申しましたような、
闘おうとされるようになったやもしらない。
これらは、ぼくの勝手な想像なので、
間違っていたらごめんなさい。

でも、もしかしたら
「ポップスター」という存在とは、
これまで、そのようにして
闘ってこられたのかもしれない、
というふうにも思う。
そして、そのような方々が
闘われてきたことによって、
ぼく及びぼくらの好きな文化が、
在り続けている、というふうにも
解釈できる気もするのですが、どうなのでしょうか。

このたび読みました『いのちの車窓から』及び
『いのちの車窓から 2』の書籍では、
そのような数多の闘いのことも
記されていると存じますが、
そのことよりもね、その最中での
一息つくような時間のことが、
書かれているようなふうにも思えてきて、
読みながらほっとしたり、はたまた、
そのような日々のなかでは、源さんが
どのように考えておられるか?
というのを垣間見ることもできたり。
それは、つまり、源さんの
音楽作品でもそうなのやもしれないけれども、
星野源さんが記されることばもまた、いちばんの
ぎりぎりのところまで考えられて、
表現されている、というふうにも感じながら
『いのちの車窓から 2』を読んでおりました。。。

 元気で、未来は明るく、現在は楽しく、毎日絶好調であろうなんて思わない。無理に明るくする必要はない。矢継ぎ早に辛いことや落ち込む出来事が起き続け、意味がわからず納得がいかないことばかりのこの世の中に、私たちは生きている。
 最悪の気分でいることはむしろ素直で正常な反応である。繊細であればあるほど、現代は生きにくい。
 堂々と思っていい。私は最悪な気分だと。もういい加減うんざりだ。私は死にたい。正直消えたい。もう生クリームたっぷりのパンケーキを食べないとやってられない。そう感じていいのだ。え、今ダイエット中だから無理? いやいや、無理なことだと思う必要はない。「出口がない」と勘違いしないためにも。
 切羽詰まると、出口がないと感じる。しかしそれはないのではなく、見えないだけで、どんな状況でも、どんな場合でも、絶対に出口はある。

星野源さん著『いのちの車窓から 2』119-120頁より

令和6年10月26日