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橋を架ける。(母語と外国語と価値のこと。)

日本の文化で海外でも人気があると言われているのは、
アニメ、漫画、ゲーム、ジブリ等の映画作品、
浅草や京都などの街並、日本料理、温泉や紅葉、そして
バンドやアイドルの音楽では、外国でライブをすると
現地のお客さんたちが日本語で大合唱になる、
というのも聞いたことがあるし、はたまた、
文学作品では、英語及びその他の言語に
翻訳出版されベストセラーになる、
というのも聞いたことがございます。さらにまた、
建築、トイレ、美術、自動車、電車が定刻通りで走る、
ファッション、お着物、歌舞伎やお能などの伝統芸能、
などなどもまた、日本の文化として
海外の人たちに認知されている、とも存じます。

それらのなかでも、とくに
アニメや漫画、ゲーム、歌、文学においては
「言語」も重要なのだから、
日本語で表現されたことばが、
外国の言語へと翻訳される、ということもあれば、
日本語のままで、つまり、海外の方々が
日本の作品を鑑賞するために日本語を勉強なされる、
という場合もある、とのことなのですが。

そう考えてみると、
外国語とは、なんだろう?
と申しあげますか、つまりはさ、
翻訳であったり、通訳であったり、もしくは
外国の人と外国語で会話をする、とは、
日本と外国との「架け橋」であり、もちろん
そのような橋はとても大事とは思うのですが、
そこに「橋」だけがあっても、
橋の向こう側が魅力的で無ければ、
人はその橋を渡らない。

日本のあらゆる文化とは、
日本の気候や風土だけでなくって、
日本人の母語である
日本語で作られていて、もしくは
日本語の言語によって考えられている、つまり、
日本語があるからこそ、
日本の文化が成り立っている、
というふうにも思われる。

つまりはさ、
あらゆる価値というのは
「母語」によって作られる。
この逆を言えば、じぶん自身の
母語じゃあない「外国語」では、
その人独自の価値を作ることはできない。

母語によって作られたその価値を、
どうすれば外国へと届けられるか?
を考えるときになって、外国語が
非常に重要になると思うけれども。
でも、その価値が
「真の価値」があるならば、
橋の向こうから見つけられて、
橋の向こう側の言語によって翻訳をされたり、
橋の向こうからの外交によって、
届けられることもあるやもしらない。

つまり、価値は
ないがしろにできない、と申しますか。
けれども、価値を作ることにおいては
「母語」が大事なのだとしても、
橋を架けること、つまり、
橋も何もないかのような、いわば、
じぶん自身を「閉じない」ためには
「外国語」を学ぶことが大切である、
と思うのだけどねー。

けれども、こんなことをまったく
外国語のできないぼくが言っても、
なんの説得力もない。
でも、なんだか、
ぼくは、ぼくなりに
母語及び外国語を知りたいな。

外国の音楽も聴きたいな〜。

Lady Madonna lying on the bed
Listen to the music playing in your head

令和5年11月19日