「天動説」から「地動説」へ。
ぼくは、読書のさいには、
たのしんで読みたい。というのは、
大前提として。
でも、そういうことだけでなくって、
じぶんを反省させるために、
本を、読んでいるふしもある。
たとえば例に挙げますと、、、
内田樹さんの著書を読むときには、
内田さんの考えに、なるほど、と、
想いながら、でも、ぼくの考えは、
こうだったからよくなかったんだ。
みたいに想うときは、多々あるし。
糸井重里さんの書籍
『小さいことば』シリーズでは、
ときに、糸井さんの
きびしいことばも読みながら、
きびしい、って感じることもありますし。
また、書籍の書き出しが
【なぜモテないかというと、
それは、あなたがキモチワルいからでしょう。】
ということばより始まります、
二村ヒトシさんの著書
『すべてはモテるためである』では、
ひたすら、反省の念だったし。
久保ミツロウさんのマンガ『モテキ』では、
じぶん自身が、反省するところしか、
なかったし。
このごろのブログでも何度か書いておりました、
武富健治さんのマンガ『鈴木先生』では、
何度読んでも、反省しながら、
励まされるし。
本や、マンガを読むことって、
じつは、
そういうことばかりのような気もするのよね。
そのなかでも、これまででいちばん、
あぁー、って思ったのは、
『二十歳の君へ ―16のインタビューと立花隆の特別講義』
という書籍の中で、
立花隆さんがおっしゃっていた
「天動説」から「地動説」へ。
のことでして。
地球の周りを星々がめぐる
地球中心の「天動説」という考え方を、
「自分中心」の思考と見立てて。
そういうような思考から、
宇宙本来の「地動説」の考え方、つまりは、
「自分自身が動いている」的な思考へと
転換してゆくことが、
大人の頭になることである。
とのように、立花先生はおっしゃっていて。
このことばを読みながら、
ぼくは、まさに、ずっと
「天動説」的な、つまり、
「自分中心」的な思考で生きてきた。
という反省のきもちでいっぱいだった。
とは言いつつもね、それから、
何年の月日が経ったかわからないけど。
それほど、じぶんは、まったく
変化していないとも思えるけれども。
なんとか、まだまだ、
大人の思考へ転換できたら。
と、ねがいたいのよね。
それでも地球は回っているのだから。
令和2年10月4日