未来にワープしたい。
このごろのブログでは、Mr.Childrenの
1997年リリースのアルバム『BOLERO』をね、
今、また、あらためて聴きながら
考えてみたことをしるしていたのですが。
リリース当時、ぼくは、たぶん中学3年生で、
このときはCDを購入していないと思うので、
どういうような状況及びタイミングで、初めて
『BOLERO』を聴いたかは憶えてないけれども、
その後、この他のアルバム同様、
折に触れて聴いてはいたけれども、
リリースより26年ぐらいが経ってから、
こうして、長々と、アルバムの感想をしるす、
ってゆうのは考えてもみなかったな。
でも、なんだか、たとえば、
10代のころには全然思わなかったことを
思いついたりもしたりして、
そういうのはさ、ぼくとしては
おもしろいと言えば、おもしろい!
逆を言えば、こうして
26年とかの長い時間を経ることによって、
わかることもある、と申しますか、
つまり、そんな時間が経たなければ
わからないこともある、
とも言えるやもしらないか。
かと言って、そんな
時間ってゆうのもね、ぼく自身の
実感で言えば、
案外、あっという間、というか。
現在、ぼくは41歳なんだけれども、
思えば、ほんのすこしまえとかには
中学生だった気がするもん。
つまりはさ、そのころから
ぼくはなんも成長もしとらん、
とも言えるやもしらないか。
ともすれば、そんな
今のぼくというのは、
1997年3月の中学校を卒業したばかりのぼくが、
タイムマシーンに乗って、現在、
2023年3月へとやって来て、
このブログを書いているんだろうか?!
アルバム『BOLERO』3曲目に収録される
『タイムマシーンに乗って』での
「時が苦痛ってのを 洗い流すなら
タイムマシーンに乗って 未来にワープしたい」
という歌詞って、あらためて考えてみると、
なんだかよいなあー。
たとえば、ぼくが
「タイムマシーン」を手に入れたとして、
時が苦痛を洗い流す、と聞いたので、だから、
未来へと行きたい、なんて思いもつけないし。
これまでにね、この曲だっても大好きで、
聴いて、なおかつ、歌ってもいたけれど、
タイムマシーンの使い方として、つまり、
ことばとして、リアルには
そう思えてもいなかった、というか、
そういう考え方もある、みたいなことをね、
この今になって初めて思ったなあ。
でも、結局はさ、
「時」というのも、ほんとうは、
タイムマシーンに乗ることによって
一気に経ることはできなくって、
毎日という「一日」を過ごすことで、
経ることができるんだろう。
って考えてみるとね、この
『BOLERO』というアルバムはさ、
『Tomorrow never knows(remix)』という曲で
幕を閉じるけれども、つまり、
「心のまま僕はゆくのさ 誰も知る事のない明日へ」
ということばで終わるのだから、
「明日」という未来を、
願いながら、生きる、
というアルバムなんだろう、
って解釈できるやもしれないな。
そう思えば、なんだか、
感慨ぶかくも感じられるなあ。
さらに言うともすれば、たとえば、
未来に一気にワープするだけでなくって、
夜寝て、朝起きる、というような
今日から明日へと、ということもね、
未来にワープする「タイムマシーン」だ、
とも言えるかもなあ〜。
「君に幸あれ
きっと明日は晴れ
本心で言えるならいいですね」
‥‥ということを、ぼくは、
本心で言えたいんだな。
令和5年3月31日