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仮説と逡巡の日々。

すっきりとした文章を書くコツとして、
「〜と思う」や「〜こと」ということばは使わず
文章を書く、ということを聞いたのですが、
それを言えば、ぼくのブログの文章では
「〜と思う」や「〜こと」ばかりだなあ。

そのほかにもね、たとえば、
「けれど」とか、「ですが」とか、
「つまり」とか、「いわば」とか、
「という」とか、「ってゆう」とか、
「たぶん」とか、「おそらく」とか、
「わからない」とか、「気がする」とか、
「とも言える」とか、「かもしれない」とか、
そういうようなことばばかりが並んでいる。
なので、おそらく、ぼくの文章とは
冗長的でかなり読みにくいものになっている、
というのはじぶん自身としても思っているけれど。
なかなかどうしてもそういう語句を多用しながら
文章を書いてしまっているところから抜け出せず、
読みにくいと思われる文章しか書けないんだな。

(ここまでの文章の中でだっても、そういう語句を
 使っているのはわざとではなくって、
 どうしてもそうなってしまうから。)

はたまた、よい文章を書こうとするためには
「言い切り」の形で書くこと、
というのもよく聞くのですが。
その点で言えば、ぼくの文章ってのは
ほとんど、言い切らない!
それだけは断言できる、と、思う。。。

なぜ、言い切らないか、というか、
言い切れないか、ってゆうのはさ、
やっぱり、こわいから、なのかなあ?
何かを言い切ることによって、
誰かから批判されることを恐れて、
それらの批判を回避するがために
「言い切り」の形を避けている。
というのがその理由なのかどうか、
ぼくとしては、よくわからないな。
それよりかはね、つまり、
ぼく自身の考え方があまりに浅くって、
言い切れるところまでたどりつけてない、
と言ったほうが近いのかなあー。

でも、たとえば、このごろのぼくのブログでは、
メタファー(隠喩)」のこととか、
「神様」のこととか、「表現」のこととか、
そういうようなことって、なかなか、
言い切れるものでも無いような気もする、
というか。もっと言ってみれば、
言い切れば「嘘」になってしまう、
という部分もある、と、ぼくは思うのよね。

せいぜい、ぼくが考えられることは
「ここまでは考えられるやもしらない。」
というような、つまりは
「仮説」を立てるところまでだ。

「仮説」を立てるまで逡巡して、そして
「仮説」を立ててからも逡巡する、
というまでの逡巡の経過が、
このぼくのブログなんだろう。

そうして逡巡した挙句、いや、
そうして逡巡した結果、いつの日か、
何かしらの結論が出たらよいんだけど。
とも思いながら、そんなような
今日も今日とて逡巡をするブログ!!!

令和5年9月29日