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数えきれない喜怒哀楽をともにすれば。

このようなブログをね、
日々、しるしているぼくは、それはつまり
つぎのブログでは何をしるそうか? って、
考えつづけているような日々でもあるのですが。
多くの人に読まれたい、という願いを
それほど持ってないぼくとしては、
(でも、じつはやっぱりそれもちょっと思うけれども)
日々、しるせそうなことを
じぶんなりにしるしているの。

昨日のブログの中では、たとえば
このブログをしるすことだっても、
どういうふうに書き始めて、なおかつ、
どういうふうに書き終わるか、というような
いわゆる、文章における
「イントロ」と「アウトロ」というものが
大切である、というようなことを考えてみたけど。
そう考えれば、ぼくのブログでは、文章の冒頭で
「昨日のブログでは、」とか
「前回noteでは、」とのようにしるすことが多い。

これはさ、つまり
「つぎのブログでは何をしるそうか?」
を考えようとするときにね、
前回で書き足りなかったことを書く、というか、
前回でしるしたことからさらに
そのつづきを考えてみる、というか、
昨日の内容と関連したことを考えている、というか、
昨日と今日を繋げたい、というか。
いわゆる、つづきものとしての
「連続ドラマ」的な?!
なにもなかったところから、いきなり
なにかを書くのは大変だと思うけれど、
こういうふうにして、前回からのつづきものとして
しるそうとするならば、そこには
「なにもなかった」わけではないから、
ブログをしるすのもちょっと楽やもしらない。

何事もつづけることが大事、ってゆうのは
よく言われるとも思うのですが。
つづければつづけるほど、そのことが
うまくなる、みたいなことは
日々、こうしてブログをしるしているぼくとしては
あんまり実感できないですが、でも
なにもなかったところからしるすよりかは、
文章をしるすハードルがちょっとだけ低くなり、
ほんのちょっとだけ、楽、というのはあるやもしれぬ。
とは言えども、その度合いも
「ほんのちょっとだけ」だとも思うが。

先日、B'zの結成35周年メモリアルのライブ映像作品
『B’z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を観て以来、
ひさしぶりに、あらためて
B'zの音楽をいろいろ聴きながら、
そのライブでも演奏されておりました
『RUN』は最高だなあ! と思っておりました。

『RUN』という曲は、1992年リリースの
アルバム『RUN』の表題曲で、
アルバム曲ながら、ライブでもよく演奏されるし、
ベストアルバムにも収録されているし、
ファンのあいだでも人気高い歌だと思うのですが。
とくに、今回、ライブ映像作品として鑑賞いたしました
『RUN』はすばらしかったな。
なにがすばらしいかと考えて申しあげますと、
それはつまり、これまで歩んでこられた
「月日」なのだと存じます。。。

よくまあここまで俺たちきたもんだなと
少し笑いながらおまえ 煙草ふかしてる
何もないところから たよりなく始まって
数えきれない喜怒哀楽をともにすれば

RUN/B'z

たとえば、月日を経れば経るほどに
【よくまあここまで俺たちきたもんだな】
という歌詞の意味合いは
大きくなってくるようにも感じられるし、そして
【何もないところから たよりなく】
始まったのだとしても、それから
【数え切れない喜怒哀楽】は
どんどん増えてゆき、それらを
【ともに】する機会も増えてゆく。

つまりはさ、なにかを
「つづける」ということは、
「数え切れない喜怒哀楽」を「ともに」する機会が、
増えてゆくことなのだとも思うのよね。

それは、どんなことでも、
いわば、ぼくのこのブログでも同様で。
つまり、喜怒哀楽は増えてゆきながら
それらをブログでしるしてゆけたい。
そして、それらのことを
だれかが、つまりは、
あなたが読んでくれたのならば、
【数えきれない喜怒哀楽をともにすれば】
って歌えるのでしょう。。。

心開ける人よ 行こう〜♪♪

B'zの『RUN』という曲の後半では、
【Let's Run Run for Your Life】
と歌われているですが、これは
ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」収録曲の
『Run for Your Life(邦題:浮気娘)』より
取られているのかあ、ってゆうのは
10代で聴いていたときには存じなかった。

おそらく、音楽には(もしくは表現作品には)
元ネタのごとくの作品がたくさんあり、
それらを、ぼくはまだまだ
知らないこともたくさんあるだろうから、
そういうものも知られるようになれたら。

令和6年4月19日