「自由」についての考察。
前回のブログでは、
「自由」について書いたけれども。
「自由」というのはさ、やっぱり、
前回のブログを書いてから、
ちょっと考えてみても、
どういうことなのかよくわからないー。
たとえば、物理では、
「自由落下」というものがあるですが。
物を落としたときに、
重力だけが作用して落下運動すること。
ってゆうのはね、でも、ある意味では、
「重力」があるから、
そういう制限があるんだから、
「自由」じゃあないじゃん。とも思っちゃう。
たとえば、ゴジラが、
街を歩くときに、
道路とか家とかビルとか無視しながら、
すべてなぎたおしながら、
自由に行動するけれども。
人間がさ、ゴジラのように
「おれは自由だ!」とか言いながら、
道路も線路も敷地も信号も関係なく、
家もビルも全て侵入して、っていうよりも、
建物を突き抜けて壊して歩いたとしたなら、
犯罪だし。そもそも、スーパーマンじゃないから、
そんなことできない。
人間は、
道路や建物や敷地や信号に
縛られているから、
「自由」じゃあないのか?!
たとえば、テレビゲームでは、
いろいろ行動できるようなゲームのことを
「自由度が高い」と言いますが。
とくにはさ、
ロールプレイングゲームのジャンルでは、
ストーリーが進んでゆくと、
船とか鳥とか飛空挺とかドラゴンとか手に入れて、
いきなり、いろんな場所へ行けるようになって。
ゲームソフトによっては、
それがちょっと、
途端にめんどくさく感じる場合もあったり。
なんだか、ゲームを遊ぶ側のじぶんとしては、
テレビゲームって、そういうような
「自由度」のバランスって、
だいじなのかなあ? とも思ってみたり。
ほかにも、たとえば、
クリエイターの方々のインタビューでは、
クライアントの方から
「自由につくってください」と言われるよりも、
なにかしらの制約があったほうがつくりやすい。
と言われるのを、読むこともあるけれども。
あまりにも「自由」過ぎれば、
逆に、どうしたらよいかわからない。
みたいなことも、
あるのやもしれないな。
地球上では、物を落とせば、
重力によって「自由落下」するけれども。
地球に、重力があるのは、
地球上では当たり前のことだし。
その「重力」という制約を、受け入れながら、
立ち上がり、行動する。ってゆうことが、
「自由」なんだ!
なんてえのは、ぜんぜんわからんけど。
それが、かたや、
さくじつのブログで書いたみたいな、
「たばこ」の話しになるとね。
ぼく自身は、たばこ吸わない立場だからこそ、
たばこは悪影響をおよぼすものだから、
禁煙だ、分煙だ、嫌煙だ。ってえのも、
それを言えば、どうしても、
正義の強さ、みたいなのが出てしまうから、
ぎゃくにあんまり言いたくない。
という気持ちもあって、
ことばの歯切れが悪くなる。的な。。。
ぼくはさ、
「言論の自由」とゆうのも、
ほんとうのところはどういうことなのか、
よくわかっていない〜。
令和3年2月4日