鬼さまの方々とこれからの日々。
昨日のブログでは、ぼくは
「ほぼ日手帳」という手帳に基本的に毎日、
物事を記している旨、及び、手帳に記す際には
こういう内容を記している、というのを申しました。
その記す内容とは、「日記」と呼ぶには
かなり些末ではあるけれども、でも、
そういうような日々の物事を、日々
記してゆくのはけっこう良いことなのやもしらない、
ってえのはね、このごろとくに思っていて。
つまり、その日生きた証みたいなものが
そこに表れているかのごとく?!
そして、そのブログの最後では、
「ほぼ日手帳」について、先日には
来年度版が発売されたので、そのことから
ほぼ日手帳の来年のカバー等について、
「ぼくはまだどうするか考え中なのですが、
来年の日々のLIFEを想いながら、
来年のほぼ日手帳のことを考えられたい」
というのを申していたんだけれども。
このことを書いてブログを更新してから、
あ、ちょっとしまったかも?????
とも思ったんだった。
つまり、このことを、
鬼は聞いている。
「来年の事を言えば鬼が笑う」
ということわざがございますが、
ふと、来年のことを言ってしまったぼくの
このことばを鬼はどこかから聞いていて、
げらげらとまでは言わないとしても、
もしかしたら、ふふっ、ぐらいには
鬼たちが笑ったやもしらない。
「来年の事を言えば鬼が笑う」
ということわざのきちんとした意味はね、
ぼくはあんまりわかっていないけれども、
このことばからはどこか不穏な感じも思ってしまう。
つまり、来年、何が起きるのか
人間たちはわかっていなくって、
でも、鬼たちはすでに知っている。
なぜ、そこで、鬼が「笑う」のか、
ってゆうのもよくわからないけれど、たとえば、
来年、よいことが起こると人間は思っていても
実際はそうではないかのごとく?!
だからこそ、いわゆる
「来年の事を言えば鬼が笑う」
のことを鑑みるとすると、
来年のことは、極力、言わないほうがよい、
というふうにも解釈できるとも思われる。
なので、ぼくとしては、なるべく
来年のことを言わないようにしているふしもあるけど、
それでも、昨日のブログではね、
来年度版の「ほぼ日手帳」の発売に際して、
あのように記してしまった。
しかし、ここで、私から
鬼さまの方々へと申し上げたいのは、
私は、でも、ことさら
「来年」のことを申したいわけではなかったのです。
来年と申しますよりかは、
本年の残りの日々、及び
これからの日々についてを想いながら、
という意味合いのほうが強かったのです。
とのように考えながら、このうえでも申しました
昨日のブログの文章において、その
「来年の日々のLIFEを想いながら」の箇所を
「今後の日々のLIFEを想いながら」へ変更、及び、タイトルも
「あしたの抱負、来年の日々のLIFE。」より
「あしたの抱負、今後の日々のLIFE。」へと変更いたしました。
(「LIFE」という語句は、ほぼ日手帳のキャッチフレーズが
【LIFEのBOOK】だからです!)
一旦、この口(指とキーボード)で申したことばを
完全に取り消すことはできないにしても、じつは
すこしばかり意味合いも違っていたし、私の思う意味合いに
近いほうへと修正しました次第です。
どうか、よろしくお願い申しあげまする。。。
と、やっぱりぼくが想いたいのは
「来年」の日々と言うよりかは、残っている
「今年」の日々のことだし、そして、それはつまり
「明日」のことを想えたい。なおかつ、
どうか、どうか、明日とこれからの日々を
健康と平和で過ごせますように、と祈りたいのです。
令和6年9月5日