絶対に理解できるメッセージ。
昨日のブログでは、先日映画館にて
「踊る大捜査線」シリーズ12年ぶりの新作
『室井慎次 敗れざる者』及び
『室井慎次 生き続ける者』を観ているあいだ、2003年公開の映画
『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』より、
青島さんが、監視カメラの映像を管理する監視ルームに居る
室井さんへと告げられた
【室井さん、聞こえるか?】
というセリフを思い出していたことを申しました。
『敗れざる者』及び『生き続ける者』では、
室井さんが、かつて青島さんの言っていた
【室井さん、聞こえるか?】のことばのごとく、
周りの人たちの話をすべて聞いている、
というふうにも思えてきて、そのことが、まさに
「踊る」シリーズの歴史のようにも思えて、
そう思ったら泣きそうになった、というか、
幾度かのシーンで泣いてしまったなあ。。。
‥‥という、この
【室井さん、聞こえるか?】
のことばを思い出しながら、
ぼくがふと連想して考えていたのはね、
内田樹さんが著書で書かれていた
教室での授業の中のことばとして、
「後ろのほう、聞こえますか?」のことです。
以下、内田さんの書籍『街場の文体論』より引用を申します。
内田先生のおっしゃるには、授業中にて
「後ろのほう、聞こえますか?」
と生徒たちに問いかけると、ときに
「聞こえません!」という答えが返ってくることがある。
もしも声が聞こえていなければ、
「後ろのほう、聞こえますか?」
ということばも聞こえないはずだから、
このやりとりって、ふつうに考えればおかしい。
でも、声は聞こえなくとも、それが
「聞こえるか、聞こえないか」
についての問いかけであることだけは確信できる。
つまりはさ、授業の
「内容」に関することはわからなかったとしても、
その授業の「額縁」を表すこと、つまり
「メタ・メッセージ」はわかることができる。
『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』
のセリフのことに戻るとすると、青島さんの告げられた
【室井さん、聞こえるか?
仲間が撃たれた。
どうして現場に血が流れるんだ!】
での、この後半部分にあたる
【仲間が撃たれた。
どうして現場に血が流れるんだ!】のほうは、
ことばの「内容」であり、また、前半部分の
【室井さん、聞こえるか?】のほうは、
ことばの「額縁」になっている。
このとき、まず青島さんは
【室井さん、聞こえるか?】と言うことによって、
このことばは室井さん宛であることを告げ、
また、室井さんに対して
「この声が聞こえますか?」と問いかけた。
そして、この問いかけは、内田先生の言われるように
絶対に聞き逃されない。
たとえば、救急の事態において
救急車で運ばれる際には、まず、救急隊員の方より
(おそらく)氏名や年齢等を訊ねられると思うけれども。
それは、救急として運ばれる方の
氏名や年齢という「情報」を得ることよりも、
通常では簡単に答えられる質問をすることによって、
その方の意識があるかないか、もしくは
その方の状況がどれぐらいなのか、を
救急隊員の方は見ているのではないか、と推察できる。
だからこそ、そのような状況において
「この声が聞こえますか?」と訊ねられたとして、
もしも聞こえたとして、なおかつ
もしも答えられそうならば、その声を無視せず
「聞こえます」と伝えたほうがよい、って、ぼくは思う。
そして、それは
救急のような事態だけに限らないとも思える。
つまり、あらゆるコミュニケーションにおいて、
コミュニケーションの「額縁」、つまり
「メタ・メッセージ」を表すことばは、
死活的に重要なメッセージであるからこそ、
絶対的に理解できるし、理解できるからこそ
無視もできないし、はたまた、
死活的だからこそ、そのことばを
故意に無視しないほうがよい、と思うの。
ってゆうようなことをね、
「踊る大捜査線」で青島さんが告げられていた
【室井さん、聞こえるか?】
のことばを思い出しながら、
つらつらと連想しておりました。
ぼくのしるすこのブログのことばも、
あなたへと聞こえていますか?
令和6年11月26日