後悔についての考察。
どんなことか、ってゆうのは、
ブログで記さないけど、思い返せば、
後悔していることって、いろいろあって。
「やらずに後悔する」よりも、
「やって後悔する」のほうが、よい。
ってえのも、たびたび聞くけれども。
じぶんとしてはさ、
「やらずに後悔する」という後悔も、
「やって後悔する」という後悔も、
どちらとも、後悔にはちがいなくって。
どちらかと言えば、
「やらなければよかった」
と思うほうの後悔も、けっこう、
つらいものだよなあと感じるの。
はたまた、
「やって、よかった」と思う場面もあれば、
「やらなくて、よかった」と思う場面もあって。
「やって、よかった」のほうは、
「やらずに後悔する」を回避できて、
「やらなくて、よかった」のほうは、
「やって後悔する」を回避できた。
とも言えるんだろう。
後悔は、できれば、
少ないほうがよい、って、
ぼくは思ってしまうんだけれども。
それでも、なにかしら、
「やらない」よりかは、「やった」ほうが、
たとえ後悔したとしても、よい、のかなあ。
たとえば、
「やって後悔する」というのが、
毎回つづいてしまって、
やることなすことすべて裏目に出て、
ともなってしまえば、じぶん自身の
自己肯定感にもひびくようにも思われるし。
そしてまた、
やらないことで、
ほんとうに、よかった。
と思うことだっても、あると思えるし。
やらずに、後悔することは、
やっても、後悔する、
やもしれないし。
やるのか、
やらないのか、
どちらがよいか?!
ってえのは、一概には言えない、
のかもしれないか。
やるか、
やらないか、
を、明らかに見極める。というか。
もしも、やる、となったら、
「やって、よかった」と思えるようになるところまで、
考えられたい。というか。
やったことによって、
失敗はしたとしても、その失敗を、
後悔には成らないようにしたい。というか。
そういうふうにできたら、
よいなあ。って、
なんだか思ったりしながら。。。。
令和3年12月5日