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閉幕後の世界。

東京オリンピックの閉幕から約2か月、および、
パラリンピック閉幕から1か月が経つけれども。

ぼくとしては、オリンピックの開催に
疑念を感じていたので、開催中、
じぶんは、どういうふうに考えるんだろう?
みたいなことをね、ぼくの開催前のブログの中で、
書いていたと思うですが。

でも、始まってしまえば、
そんな疑念は関係なく、どんな人でも、
熱中して、観戦&応援するだろう。
という意見もあったとはぞんじますが、
なんだか、ぼくはそんなことはまったくなくて、
期間中、オリンピック・パラリンピックを、
観ることはなかった。

テレビやネットや新聞のニュースの中で、
試合結果を知ることはあったとしても、
たとえば、関連する番組がテレビに映れば、
チャンネルを変える、くらいに、
拒否感を覚えてしまって。
もう、今後、開催されるオリンピック・パラリンピックを、
じぶんはちゃんと観られるんかどうか、という、
ある意味では、トラウマ。みたいな。
そんなふうにも感じてしまうじぶん自身に、
ちょっと、つらさも、ある。

オリンピックが開催されて、
よかったのかどうか。ってゆうのも、
ぼくは、まだ、よくわからないな。

開催されたことが、
「よかった」とも「わるかった」とも、
まだ一概には言えない気がする。

東京オリンピック・パラリンピックが、
開催された世界と、
開催されなかった世界とを比べると、
どこが変わっていて、その影響は、
どのくらいあるのか。もしくは、ないのか。
って、ぼくには全然わからない。

感染対策のことでも、
開催中に感染者が急増したことも、
開催は、関係ないらしいけれども。
そうだとしても、ただの偶然だったとしても、
その偶然を、どう考えたらよいか?! って、
ぼくにはわからない。

ぼくが思っていたのは、
感染対策して開催する、よりも、
開催が感染対策になる、つまり、
開催をすることによって、
国内および世界中の感染者が激減する、
という算段が無ければ、開催しないほうがよい、
みたいなふうにも思っていたので、でも、おそらくは、
開催と感染は関係ない、ともすれば、
開催されたとしても、
開催されなかったとしても、
どちらとしても同じ状況が起きていたんだろうなあー。

開催において、いちばんつらかったのはね、
意見のちがう人同士が、
言い争い合うような場面を、
見てしまう。ようなときだ。

でも、そのつらさは、今でも、
別のあまたの話題の中でも起きていて。
それは、つらいけど。

なんというか、
今後も、どうか、
健康に過ごせますように。と祈りたい。

令和3年10月4日