何度でも季節は巡ること。(壮大な意味合いver.)
最近のブログでは、リリースより約一年が経ちました
Mr.Childrenの最新アルバム「miss you」のことをね、
あらためて記しているですが。
現在のところ、アルバム「miss you」の中で
どの曲が一番好きか? と、じぶん自身へ問うたとして、
その答えは案外、ぼくとしては
リリース当初のころから決まっている。
どの曲なのかというのはまずは申さずに、
でも、すべての曲が好き〜! たとえば、
アルバム1曲目の『I MISS YOU』は
シリアスとも思えるこのアルバム作品の
スタートにふさわしい、と感じられて好きだし、
2曲目の『Fifty’s map ~おとなの地図』は
30周年ライブツアー「半世紀へのエントランス」を経て
その最初の一歩の歌として感慨ぶかく思えるし、
このごろではね、とくに
5曲目の『LOST』が大好きだし、
6曲目の『アート=神の見えざる手』のインパクトは
とてつも無かったし、そこから、ひきつづく
7曲目の『雨の日のパレード』への流れが素敵だし、
10曲目の『ケモノミチ』は、アルバムの中でもとくに
シリアスで、孤独で、暗くて、強くて、
その雰囲気がかっこよくって、かつ
泣けてもきてしまうから好きだし、
11曲目の『黄昏と積み木』は
ほっとする感じと建設さを感じられて好きだし、
13曲目の『おはよう』は
アルバムラストを飾るかのような
優しさによって希望の光を感じられる。
というふうに挙げてゆけば、
きりがないし、つまりはさ、
このアルバムが大好きだし、なおかつ
アルバム全体の曲の流れが好きなのよねー。
というふうに思いながら、でも、
一曲を申すとすれば、ぼくはね、
アルバム3曲目の『青いリンゴ』なんだなあ。。。
この曲は、強い風を感じながら、
まだ蒼くて酸っぱいリンゴを齧りながら、
何度でも季節は巡ることを想う、
というような内容の歌なのだけれども。
とくには変哲さは感じられず、
演奏の爽やかさとシンプルさを感じつつ、でも、
【傷んだリンゴをゴミ箱に放り投げて】及び
【ナイフを持った奴が暴れ出したら
僕ならどんな行動を取るか】ということばを聴くと、
こわさも思えたりもする。
この「ナイフ」については、その後の場面で
【丁寧に皮をむいて 青いリンゴを齧った】
とも歌われているので、つまり、
ナイフという道具としての対比なのだと思うけれども。
このような対比のことで思い出すのはね、
Mr.Childrenの2006年リリースシングル『しるし』の
カップリングとして収録される『ひびき』の歌詞における、
誕生日で鳴らされる「クラッカー」の音と
外で聞こえる「銃声」の音のことなのですが。
つまり、どんなものにも表と裏がある。
そのようにして、どんなものにも
表と裏があったのだとしても、それでも、
何度でも季節は巡る。
アルバム「miss you」のぼくなりの解釈として、
老いること、そして、
生きることなのだと思う、とのように
このごろのブログで申しているけれども。
じぶん自身が老いても、そして
じぶん自身が死んでしまっても、
何度でも季節は巡る。
というふうに考えてみるとね、この
『青いリンゴ』では、季節が
何度でも巡ることが歌われているけれど、
でも、それは、季節だけでなくって、
人類という生命が、ずっと
巡りながら続いてゆくことを
想うような歌なのかもしれないなあ、って。
つまりはさ、「青いリンゴ」とは、
次の世代で生まれてくる、かつ、成長してゆく
「子供たち」というメタファーなのだとも考えられる。
そんなふうに考えるとすれば、
爽やかに及び軽やかに演奏されているかのような
『青いリンゴ』も、じつは
壮大な意味合いが込められている、
とも感じて、そう感じると
『青いリンゴ』大好きだなあと想うの。
風も、季節も、体温も、果実も、そして、
壮大な意味合いも、感じていたい。
いつまでも この身体中で♪
令和6年10月18日