ある後悔。
ぼくが中学生のとき、
犬を飼い始めて。その犬は、
雌のゴールデンレトリーバーだったですが、
ぼくが大学生のころ、
7歳で死んだ。
その犬のことを想うと、
いや、「犬」と呼ぶのは、
なんだか、かたくるしさがあるので、
今回のブログでは「彼女」と呼称したいけど。
彼女のことを想うと、
でも、やっぱり、
申し訳なさがある、とゆうか。
たとえば、ぼくが中学生とかだったので、
というのが理由になるかはわからないが、
いじめてしまったりもして。
そういうのを思い出すと、
つらくて、もうしわけがない。
彼女(犬)が死んだのは、
四月のはじめだったけれども。
ぼくは大学生で、
春休みで実家に帰省していた。
その帰省したときにね、
彼女の体調が悪くなって。
いや、帰省する前からも、
体調は悪かったのかもしれなくて、
何度か病院へ通っていたかもしれないけど。
そのときも、病院へゆく。
病院では、
父と母とぼくの3人で病室へ入り、
処置をするということで、ぼくは、
「体を押さえる」とゆうのを
先生から指示をもらいまして。
ゴールデンだから、体も大きいし。
でも、ぼくはそれがうまくできなくって。
うまくできないぼくを見かねて、先生は、
「待合室で待ってて。」
と言い、ぼくは病室を出たんだった。
そのことはさ、
今思い出しても、
大事な場面でうまくできなかったじぶん、
というのに、後悔をしている。。。
処置が終わり、
彼女は病院で滞在、
ぼくらは家へ帰宅。
そして朝、病院から電話があり、
彼女が亡くなったという連絡をもらう。
ちょうどその日はさ、ぼくが、
大学のある前橋へ帰る日だったので。
もしかしたら、彼女は、
ギリギリの日まで一緒に居たい、
という気持ちで、頑張ったのかもしれない。
ってゆうのはぼくの勝手な解釈なんだけれども、
そういうふうに想っているの。
その日の、新幹線の車内は、
悲しかった。
たのしかった思い出も、
たくさんある、ともしても、
よくしてあげられなかった、
という気持ちもあって。
そういうような後悔のこと、
今でも、たまに思い出している。
令和2年11月1日