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無音の日々、芸術の根源。

坂本龍一さんの著書『音楽は自由にする』を、
先日図書館で借りて来て、読み終えました。

2009年刊行されましたこの書籍では、
坂本さんご自身が、それまでの半生を振り返る、
という内容なのですが。

ぼくは、坂本龍一さんの音楽を
ずっと聴いてきたわけでもなくって、
また、1982年生まれのぼくは
YMOもリアルタイムで聴いていなくって、たとえば、
音楽番組「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」で
坂本さんがゲスト出演されているのを観たり、もしくは
『energy flow』はテレビでよく流れていて聴いたり、
というぐらいですので、著書を読みながら、
坂本龍一さんとはこんな方だったのかあ!
すごい! おもしろい! って思いながら、
頁を読み進めておりました。

そんな、すごい、おもしろい、とは思いながら、
でも、とくに印象的と感じましたのは、やはり、
ニューヨークでの「911」のことです。
このときニューヨークで住んでおられた坂本さんは、
この事件に遭遇されていた。
そののちの坂本さんのインタビューでは、
事件後、街からは音楽という音楽が消え、そして、
坂本さんご自身もしばらく音楽を聴くことができず、
でも、あるころ、地下鉄の駅の構内を歩いていると、
街の誰かの弾き語りによるビートルズの
『イエスタディ』の演奏が聴こえてきて、
その音楽に、救われた、というお話しは
以前、聴いたことあったのですが、書籍では
このこととはちがうエピソードとして、
「無音の日々」のことが記されています。

 人は非常時には、普段なら切り捨てていたようなレベルの情報もすべて拾うようになります。全方位に過敏になるんです。そうすると、音楽というものはできなくなってしまう。感覚の許容量を超えてしまうんですね。音楽が消えただけでなく、あの騒々しいニューヨークで、音がしなかった。誰もクラクションを鳴らさないし、ジェット機も飛んでいない。ものすごく静かでした。針が落ちただけで人が振り向くぐらいのぴりぴりした感じが、ニューヨーク全体を覆っていた。そんなときにもし誰かがギターなんか弾いたりしたら、殴られかねません。ああ、こういうふうになるんだなと思いました。

坂本龍一さん著『音楽は自由にする』新潮社、220頁より引用です。

坂本さんのおっしゃるには、人は、
非常時には全方位に過敏になり、かつ、
感覚の許容量を超えてしまう、そういうときには
音楽ができなくなってしまう。
また、ニューヨークの街では音楽だけでなく、
車のクラクションのような、物音自体、しなかった。

 やがて歌が聴こえて来たのは、諦めからです。テロから3日経って、もう生存者はいないということをみんなが理解したとき、ヴィジルという催しがありました。ろうそくを持って街のあちこちに立って、黙禱をする。音楽が現れたのはそれからでした。喪に服するために、葬送という儀式のために、初めて音楽が必要になる。芸術の根源を見たようでもありました。

同著、同頁より。

事件より三日が経ったころ、
生存者はもういない、と、みなが理解したころ、
「ヴィジル」という催しが行われた。この
「ヴィジル(vigil)」の語句を辞書で調べてみると、
『リーダーズ英和辞典(第3版)』では、
不寝番、寝ずの番[看病]、《夜間の》監視(期間)、
《特に夜間の》静かなデモ[集会]、眠れない時、
徹夜の祈り、通夜をする、などの意が掲載されていて、
つまり、お通夜のごとくの祈りの集会が行われ、
蝋燭を持ち街のあちこちで立ち、黙祷をされ、そして、
葬送のための儀式において、初めて音楽が現れた。
この光景より、坂本さんは
「芸術の根源を見たよう」と言われているのですが。

音楽及び芸術って、たとえば、
たのしい、とか、おもしろい、とか、
きれい、とか、うつくしい、とか、かっこいい、とか、
のようなことよりも、その根源としては、
死者の葬送にある、というのは
なんだか、なるほどぉ、と思いました。

先日のブログでは、以前、ぼくの父が
亡くなってからのしばらくのあいだ、
音楽は聴けず、無音で過ごしていた、
というのをしるしたですが。
そういうこともね、もしかしたら
坂本さんのおっしゃっていることと、
似ているのかもしれない、とも考えられるかなあ。

とくにこの頁を読みながら、
音楽って、何なのだろう?
というようなことをね、
あらためて、想っておりました。

令和5年6月4日