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Come here go there

ぼくは、音楽が聴くのがすきだけれども、
ときにはね、その音楽を
聴きたいとは思わないこともある。
それは、たとえば、
身体が疲れているときとか、
精神的に疲弊しているときとか、
ってゆうようなときには、音楽を聴かず、かつ、
ネットも、スマホも、本も、テレビも、手帳も、
なんにも見ず、ただ、ただ、
目をつむってじっとしていたいときもある。

そういうような、
目をつむってじっとしていたいときには、
頭の中で、考えるとは言えないぐらいの
考えごとをしていると思うんですが。
そういう考えごとって、ときに
考えに歯止めがきかなくなり、
考えが暴走してしまう場合もあるので、
そんなときにはね、
考えごとだってもしたくないから、そんな
考えごとをしたくないようなときには、
クラシックの音楽を、
ヘッドホンで聴く。

ぼくは、でも、
クラシックの音楽に詳しくないので、
なにかを語ることはできないけれど、
バッハさんやモーツァルトさんの音楽をね、
その意味やタイトルもよくわからないまま、
演奏者さんもどなたかよくわからないまま、
聴きながら、そうして聴いていると
考えごとも落ちついてくる感覚があるの。

そう言えば、ぼくはあるころから
じっくり腰を据えて音楽を聴く、って、
あんまりしなくなってしまったな。
音楽を聴くとすれば、主に、
このブログを書いているときに
そのブログの内容の資料として聴く、及び、
車を運転しているときぐらいで。
なかでも、やっぱり、いちばん多いのは
運転中のときだなあ。

けれども、そんな運転中でも
音楽を聴く気分じゃあない場面もあった。
それは、今から三年前、
父が亡くなったときのことです。

父が亡くなり、それから
通夜葬儀が終わるまでの期間は、
車に乗っても音楽は再生せずに、
無音の運転をしていた。

葬儀が終わりしばらく経ってから、
そろそろ、運転中で音楽を聴こうかなあ、
と思ったとき、でも、まだ、いつも聴くような
ロックの音楽などなどは聴けなくって。
再生リストをスクロールしながら、
これかなあ、と想いながら聴き始めたのは
「レイ・ハラカミさん」の音楽でした。
たしか、たぶん、このときに聴いたアルバムは
『lust』だったのかなあ〜。
その後のしばらくのあいだ、運転中では
レイ・ハラカミさんのアルバムをね、
いろいろと聴いていたんだった。

レイ・ハラカミさんの音楽について、ぼくは
きちんと形容することもできないんですが、
不思議な音楽だなあ、とは感じながら、
そんな、父が亡くなったころには
彼の音楽を聴きながら過ごしていたなあ。
それから、
すこしずつ、すこしずつ、すこしずつ、
日常へと戻って行った感覚があるのよねえ。。。

Joy to the world
Come here go….

令和5年5月22日