ぼくの家の前には道がある。
ぼくの前に道はなくて、
ぼくの後ろに道ができているかどうか、
みたいなことはぼくにはよくわからないけれど。
ひとつ、確実に言えるのは、
ぼくの家の前には道がある。
建築物を建てる際には、敷地と道路が
2メートル以上接していなければならない、
とされる規定(接道義務)が、
建築基準法第43条で定められている。
なので、その規定に則って
ぼくの家の前にも道路がある。
つまりはさ、家と道は
セットなのだとも言えるかなあ〜。
家の目の前にある道路から、
歩いて、及び、車に乗って
いろいろなところへと行くことができる。
もしくは、その道路を通りながら
郵便や宅配が家へと届く。
そして、それらのことだけじゃあなくって
コンビニ、スーパー、本屋さん、服屋さん、などなどなど、
あらゆるお店の商品も、道路と自動車によって
そのお店へと運ばれる。つまり、
道路が無ければこの社会は成り立たない。
インターネットでのお買い物だってもね、
家にネット環境はあったとしても、
道路と車が無かったら家へ届けられないから。
道路という場所は、
不思議だなあ!
って思ったりもする。たとえば、
道路とは、だれが、いつ、その場所を
道路なのだと決めたのか?!
昨年11月放映の『ブラタモリ』三夜連続スペシャルでは、
「東海道“五十七次”」のことが探られていたですが、
東海道五十三次、東海道五十七次、及び、
日本全国たくさんの街道があって、
つまり、かねてから
道路は整備されてきた。
そのほかにもね、道と言えば、
「すべての道はローマに通ず」という語句もあるし、
「獣道」というものもあるし、
古代の時代、及び、生物たちにとって、
重要な場所なのだと思われる。
ぼくは現在の日本の国のことしか存じないですが、
世界中で道路はあるんだと思う。
日本国内では、
国道、都道府県道、市町村道、高速道、
という、道路という道路が
蜘蛛の巣のごとく張り巡らされていて、
愛知県に住むぼくも、行こうと思えば
この足で、もしくは、愛車で、
本州ならばどこまででも、もしくは
橋やフェリー等を使えば全国を訪れられる。
ってゆうふうに考えるときにね、
現在の道路って、主に
自動車用として作られているなあ、
と感じる。たとえば、道路の幅も
自動車の通ることができる大きさで、
古い街並みならば、車では
通り難い道もあるとしても、
それはつまり、その道ができた当時は
まだ自動車が存在しなかったんだろう。
かつてには、
人であったり、
駕籠であったり、
馬車であったり、
牛車であったり、
というものが通れる幅があれば、
道路は成り立っていたんだとしても、
現在では、自動車が通れなければ
道路なのだと言いにくいやもしらない。
つまり、自動車のサイズによって
道路の幅も決められている。
トラックやバスやタンクローリーなどの
大型車のことは一旦置いておくとして、
普通自動車って、何故、
そのサイズになっているんだろう?
一般的には、運転席、プラス
その隣りには助手席があって、
ふたりが並んで座ることができるけれども、
いわば、自動車の横幅とは
ふたりの人間が横向きに座る分の長さになっている。
大型車になると話しは変わってくると思うけど、
でも、そのようなサイズの
自動車が通ることができるための幅が、
道路には必要になってきて、ともすれば、
道路によって、さらに、街の景観も
変わってくるとも思うので、つまり、
現在の街並みとは、自動車のサイズによって
作られているとも言えるやもしらないなあ。
みたいなことをね、
家の窓より見える道を眺めながら、
考えたりもしつつ、かつ、
人類の道程にも思いを馳せたりしつつ。
令和7年1月21日