ことばと物語を読む姿勢。
昨日のブログでは、ぼくはこどものころ
漫画をあんまり読んでいなかった、そして
おとなの年齢と成った今のほうがより、
漫画を読んでいると思う、
というようなことを申したのですが。
そのブログのなかでは、ぼくが
こどものころあんまり漫画を読まなかったのは、
両親がほとんど本を読んでいなかったこと、
というのを一つの理由として挙げまして、
なので、つまり、ぼくも本を読まなかった。
いつぞやのブログでもしるしたやもとぞんじますが、
ぼくは20代半ばごろのとき、あるきっかけによって
本を読むようになり、そして
本を読むのが好きになってからの今では、
日々の習慣のごとく読書をするようになりました。
そう考えてみれば、ぼくが
「本を読み始めるようになったこと」と
「こどものころよりも漫画を読むようになったこと」って、
案外関連しているんではないか?
つまりはさ、ぼくは当時
小学校・中学校・高校と「国語」の授業が苦手で、
それはいわば、こどものころのぼくは
「ことばを読む」ということが
できてなかったのではないか。
たとえば、活字のみの書籍だけでなく、
漫画というのも、そこで描かれる
「絵」はもちろん重要なのだとしても、
同じぐらい「文字」も大事な要素なのだから。
そしてまた、これはまだうまくは言えないけれども
ぼくが本を読むようになって思うようになったのは、
「物語を読む」とはどういうことか?
なのでして。たとえば、ぼくは
村上春樹さんの小説作品が好きなのですが、
村上さんのインタビューや対談等を読むと
村上さんは「物語」についておっしゃっていて、
そこでぼくも、「物語」について
じぶんなりに考えるようにもなって。
(このことは思ったのはとくに、河合隼雄さん・村上春樹さん共著
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』だったとぞんじます。)
そう思ってみれば、ぼくは20代半ばごろより
読書をするようになってから、上記のような
「ことばを読む」だけでなく、
「物語を読む」ということも
少しばかりでも身についたのではないか。
小説だけでなく漫画の作品もまた、いわゆる
「物語」なのだから、それを読むには
「物語を読む」という能力、というか、
姿勢というか、心構えというか、態度というか、
そういうものが大切で。
それでぼくはね、おとなになってからではあるけど
本を読むようになったからこそ、もしかしたら
そういう姿勢みたいなものも身について、
本だけでなく漫画も、読むことが
できるようになったのではないか?
そんなことを、仮説的に考えているんだけどねー。
これからもまた、そのような
「ことばを読むこと」及び
「物語を読む姿勢」のようなことを鑑みながら、
本、及び、漫画を、読んでゆけたら〜。
令和5年12月24日