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「対岸の火事」のごとく。

じぶんにはまったく関係のない出来事であることを意味する
「対岸の火事」ということばがあるけれど、
このことばって、比喩として
うまいことできているなあと思える。

つまりはさ、「対岸」とは
こちら側とむこう側が、川などの
「水」によってへだてられていて、そして
「火事」とは「火」なのだから、むこう側の火は
そのあいだには水があるからこそ、
こちら側へと来ることができない。
はたまた、そんな、大変な出来事である火事を
水でへだてられ安全であるこちら側より眺めている、
という状況が、いわゆる
「対岸の火事」であるとぞんじますが。
そういう状況及び状態を、比喩によって
五文字の語句で言い表せているのだからすごいなあ。

とは言ってみても、「対岸の火事」とは
対岸で起きている火事だからこそ、
言えることだとも思うの。

たとえば、どこかの国及び地域で
戦争が起きているとき、このことは
「対岸の火事」と言えるのかどうか。

仮に、対岸で戦争が起きているならば
戦争は火事では無いのだから、
川や湾などによってへだてられていても、
安全では済まないやもしれない。
そしてまた、対岸と言えば
「岸」を境界線とするこちら側とむこう側であって、
ならば、そんな、対岸ではなく
遠い国や地域で起きている戦争なのだとすれば?
つまり、遠い距離によってへだてられた
こちら側とむこう側だったともすれば、それは
「対岸の火事」と思ってしまってよいものかどうか?!

ぼくが今思うのはね、戦争とは
世界情勢そのものであり、そして
戦地の地域より遠く離れたこちら側も
その世界の中に含まれているんだから、
まったく関係がないとは言えない。
ただ、こちら側は、戦争による
攻撃を受けてない、ということは言えたとしても、
けれども、そこからさらに
世界情勢が変化していった際には、
「対岸の火事」のごとく、いつまでも、
こちら側も安全であるとは言い切れないやもしらない。

しかし、逆のように言うともすれば、
戦争でも、火事でも、もしくは
あらゆる自然災害においても、
「対岸」のごとく離れた場所で起きている出来事について、
ほんとうには何が起きているのか、及び、
当事者の方々のほんとうの気持ちというのは、
想像も出来得ない、というのはぞんじます。

つまりはさ、もっと大きく言うとすると、
あらゆる他人のこと、つまり、
じぶんの身体とはへだてられた他人の問題というのは、
ある意味では、空間の距離的に考えれば
「対岸」であるとも言えるんだろう。
でも、それは、必ずしも
「対岸の火事」ではない。。。

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令和6年2月25日