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うけとりかたのもんだい。

天気って、なんだろう?

たとえば、なぜ、
雨が降り、風が吹き、なおかつ、
雨は小雨のときもあれば豪雨のときもあるし、
風はそよ風のときもあれば暴風のときもあるか?
そして、それらの天気とは
季節によっても変化してくるし、はたまた、
そもそも、その季節とは
なぜ、あるのか?! というのもよくわからないし、
季節とか、気候とか、気候帯とか、ってえのも
地球上の場所によって変化してくることも、
どうしてなの??? そのことはさ、いわゆる
学問として解明されているやもしらないし、
いや、もしくは、いまだに
解明されてないこともあるのかもしれない。

とくに、このたびの台風10号につきましては
ニュースを見ながら、台風が
どのように動くのかもよくわからないし、
どのように動くのか、と言うよりも
台風の進むのが非常に遅く台風はほとんど動かず、
という動き自体がよくわからないし、また、
台風より遠く離れた地域でも大雨が降るのは
これまでにもあったとしても、とくに
この台風はそれが顕著だとも思われるし、さらに、
ぼくの住む場所では大雨は降ったものの
大きな被害は無く、でも、市内及び県内でも
避難情報や災害のことを報道されていた。

台風が非常に強くなるのは、
海面水温が高いため、というのもね、
ニュースではよく言われていたけれど、ならば、
なぜ、海面水温が高くなるか? とか、そして、
世界的な猛暑とか、旱魃とか、みたいなことも
どうして起こりうるか? というのも、
素人のぼくにはぜんぜんわからないけれども。

天気のことで思い出すとすると、村上春樹さんの
長編小説作品『1Q84』の中で登場する
物語の主人公のひとりである青豆が、
ある新興宗教のリーダーを、ある方法によって
この世からあの世へと移動されるときに、
嵐が起きる場面かなあ。。。

 遠くで雷鳴が聞こえたような気がした。顔を上げて窓の外を見た。何も見えない。そこには暗い空があるだけだ。しかしすぐにもう一度同じ音が聞こえた。静かな部屋の中にそれはうつろに響いた。
「今に雨が降り出す」と男は感情のこもらない声で告げた。

『1Q84(新潮文庫)』BOOK2/前編_第11章_303頁

 雷鳴がとどろいた。さっきよりその音はずっと大きくなっている。しかし雷光はなかった。音が聞こえるだけだ。奇妙だと青豆は思った。これほど近くで落雷があるのに、稲妻は光らない。雨も降り出さない。

『1Q84(新潮文庫)』BOOK2/後編_第13章_15頁

 青豆はしばらく言葉を失っていた。そのあいだ激しい落雷は、短い間隔を置いて続いていた。雨もようやく降り出したようだった。大きな雨粒がホテルの部屋の窓を強くたたき始めた。しかしそんな音は青豆の耳にはほとんど届かなかった。

『1Q84(新潮文庫)』BOOK2/後編_第13章_22頁

 稲妻のない落雷が窓の外でひときわ激しく轟いた。雨がばらばらと窓に当たった。そのとき彼らは太古の洞窟どうくつにいた。暗く湿った、天井の低い洞窟だ。暗い獣たちと精霊がその入り口を囲んでいた。彼女のまわりで光と影がほんの一瞬ひとつになった。遠くの海峡を、名もない風が一息に吹き渡った。それが合図だった。合図にあわせて、青豆は拳を短く的確に振り下ろした。
 すべては無音のうちに終わった。獣たちと精霊は深い息を吐き、包囲を解き、心を失った森の奥に戻っていった。

『1Q84(新潮文庫)』BOOK2/後編_第13章_37頁

 九時に近くなって、遠くの方でかすかに雷鳴が聞こえたような気がした。カーテンを小さく開けて外を見ると、すっかり暗くなった空を、不吉なかたちをした雲が次々に流れていくのが見えた。
「君の言ったとおりだ。ずいぶん不穏な雲行きになってきた」と天吾はカーテンを閉めて言った。
「リトル・ピープルがさわいでいるから」とふかえりは真剣な顔つきで言った。「リトル・ピープルが騒ぐと天候に異変が起きる?」
「ばあいによる。テンコウというのはあくまでうけとりかたのもんだいだから」
「受けとりかたの問題?」
ふかえりは首を振った。「わたしにはよくわからない」
 天吾にもよくわからなかった。彼には天候とはあくまで自立した客観的状況のように思えた。しかしその問題をこれ以上追求しても、おそらくどこにもたどり着けないだろう。だから別の質問をすることにした。
「リトル・ピープルは何かに腹を立てているんだろうか?」
「なにかがおころうとしている」と少女は言った。
「どんなことが?」
 ふかえりは首を振った。「いまにわかる」

『1Q84(新潮文庫)』BOOK2/前編_第12章_335-336頁

物語のもうひとりの主人公の天吾が頭の中で思ったように、
天候とは、つまり
「自立した客観的状況」なのか、それとも、
ふかえりが語られていたような
「うけとりかたのもんだい」なのか、
それは、天吾にも、ふかえりにも、
そして、もちろんぼくにもよくわからない。

ぼくは首を振った。ぼくにはよくわからない。

でも、つまりはさ、この
「うけとりかたのもんだい」というのは、いわば
メタファーを表しているのかもしれないか。
前回noteでは、ことばや文章の
「メタファー(暗喩)」について申したけれども、
ことばだけでなくって、天候もまた
メタファーの範疇に入るやもしらないし、
もしくは、入らないやもしらない。

どちらにしろ、いつかは
雨も、風も、嵐も、雷鳴も、
止むときが来るのだと想えたい。

令和6年9月1日


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