見出し画像

「橋」の架け橋。

ぼくは現在、パート契約で
学習塾講師のお仕事をしているですが。
中学生の生徒に数学を、とくに、
「=」の入った式、つまり、
方程式の解き方を教えるときには、
この「=」を「橋」に見立てながら、
伝えているの。

たとえば、
2x-9=7x+11
という方程式を解くときは、
「=」の左側(左辺)にある「-9」と
「=」の右側(右辺)にある「7x」を、それぞれ、
反対の辺に移して、数学的に言えば
移行させて計算するけれども。
移行させるときには、符号が、
プラスのものはマイナスへと、
マイナスのものはプラスへと変わる。

上記の方程式のばあいでは、、

2x-9=7x+11
2x-7x=11+9
-5x=20
x=-4

‥‥という解き方になるですが。

このとき、符号はさ、
移行させたものだけが変化して、
移行させないものは変化しない。
このことを説明するのに、ぼくは、
「イコールの橋を越えると、
 プラスとマイナスが変わって、
 橋を越えないときには変わらない。」
と言ったりする。

「=」って、形の見た目が
「橋」っぽいじゃん。

また同様に、分数が入っている方程式では、
「イコールの橋を越えるときには、
 上のもの(分子)は下(分母)へと、
 下のもの(分母)は上(分子)へ行く。」
とも言ったりする。

たとえば、数学で言えば、
「=」というのは、
「左辺の世界」と「右辺の世界」を
つなぐ「橋」なのだろうか。

ほかにもさ、等式や方程式で、
両辺に何倍かさせたりするようなときには、
左辺だけに掛けてしまうと、
イコールという「天秤」のバランスが崩れちゃうから、
おんなじものを右辺にも掛けてね。
みたいなことも、言ったりするけれども。

そもそもどうしてぼくは、
数学の「=」のことを、このような
「橋」や「天秤」の比喩で説明してるかなあ?
って考えてみれば、もしかしたら、
ぼくが中学生だったとき、数学の先生から、
そう、教えてもらったのかもしれないなあ。
そう、教えてもらったものを、
今、同じように伝えているだけやもしれないな。

そんなふうにイメージすると、
じぶんというのは、じぶんが
じぶんの先生から習ったことを、
生徒に教える、ってゆう、
じぶんの先生と生徒とをつなげる、
架け橋なんだろう。とも思えてくる。

歴史の年号とかもね、たとえば、
1877年の西南戦争について、
ぼくが中学生のときに同級生のT本君から、
彼が通っていた塾の先生から
「バナナ(877)を取り返せ〜!」
って教えてもらった。というのを聞いたときは、
ちょっと衝撃的で。
「西南戦争」という「南」であるからこそ、
「バナナ」っぽいし。
インパクトがあって、
いちど聞いたら、忘れられないし。
この覚え方もね、生徒に対して、
「ぼくは昔、こう教えてもらったんだけど…」
と言いながら、でも、じつは
ぼくが直接教えてもらったわけではないんですが、
ありがたく、拝借させてもらっている。

そんなふうにしながら、
勉強とか、教育とか、ってゆうのも、
時代から時代へと、架け橋を渡りながら、
受け継がれてゆくものなのかもしれない。

令和3年8月12日