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そのうちなんとかなるだろう。

ぼくのブログでは、たとえば、
「たぶん」とか、「おそらく」とか、
「かもしれない」とか、「と思う」とか、
「わからない」とか、というようなことばが
頻発している、と、じぶんでも思っている。

つまりはさ、ぼくには
確固たる意見も無ければ、かつ、
断言できるような考えも持っていないし、でも、
問題意識みたいなことはあるとも思うけれども、
それは、意識のままで終わる、というか。
もっと言えば、その問題意識の中で
ずっと悩んでいる、というか、さらに言い換えれば、
迷っている、というか、
惑っている、というか、
つまり、迷い、惑う、ってゆうような
「迷惑」な存在なんだと思う。

そんなぼくとしてはさ、
このブログでも、たとえば、
読んでくださる方に対して、
こういうふうに考えれば、
あなたの人生は、劇的に、好転します!
みたいなことも言えるわけがない。

ぼくのブログには、つまり、ぼくには、
なにかしらの意見も無ければ、
なにかしらの見識も無ければ、
なにかしらの答えも無いんだから。
つまり、わかっていることなんて
なにひとつ、無い!

所詮、無い無い尽くしなのさ。

たとえば、
「金のないやつぁ 俺んとこへこい
 俺もないけど 心配すんな」
という歌がございましたが、
このぼくのブログだったらば、
わからない人は、ぼくのブログへ来い。
ぼくもわからないけれど、心配するな!
と言いたい。けれど、じつはさ、
ぼく自身が「わからない」ということを、
ぼくは、心配しているんだなあ〜。

この歌のごとく、
そのうちなんとかなるだろう、と、
笑って過ごせたらよいんだけどねえ。。。

世界は、
わからないことだらけで、
わかりたい、と思えども、
わかるの壁は遠ざかり、そして、
わからないことは、
さらに、さらに、増えてゆき、その同時に、
心配ごとも増えてゆく。
それは、もう、
たぶん、おそらく、
そうかもしれない、と思うの。

令和5年5月29日