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選挙の投票とぼくの意志について。

昨今、選挙における投票率の低さについて、
話題に上がることがあるけれども。
なので、選挙では、
投票率を上げるためにはどうすればよいか?
というのを考えることもあるとはぞんじますが。

選挙の投票率に関して、たとえば、
投票率が低くなればなるほど、
与党に有利になる、という話しを聞いたときは、
なんだか衝撃的だった。

与党とは、まず、支持母体となる
組織票のような票が多くなると考えられるから、
つまり、野党派や無党派の人々が
選挙で投票しなかったとすれば、
自動的に与党の組織票だけが集まり、
与党の党や候補者は当選しやすくなる。
だから、与党側としては、
いかにして投票率が上がるか?
ではなくって、逆に、
いかにして投票率を下げるか?
を、考えるようになる。

その方策として、たとえば、
野党を支持する人たちに対しては、
野党を支持したとしても
政治は絶対に変わらない、
と諦めさせる、とか、はたまた、
無党派の人たちに対しては、
政治はわからないもの、
政治はむつかしいもの、
政治はつまらないもの、と思わせることで、
政治に興味を持たせないようにさせる。
そうすることによって、
与党の思惑通り、投票率は下がり、
もともと入るはずだった
組織票のような票のみが入ることで、
与党の党や候補者は当選して、そして、
与党の議席で埋まってゆく。

ってゆうような理屈なのかなあ、と、
ぼくは思っているのですが。

この話しを聞いて怖いなあと感じるのは、
たとえば、選挙に行かない人、というのは、
おそらく自分自身の意志によって
「選挙に行かない」と考えているとしても、
それは、じつは、もしかしたら、
「いかにして投票率を下げるか?」
という目論見が功を奏したことによって、
「選挙に行かない」と思わされてしまった。
でも、本人は、そういう目論見が
功を奏されていると気づけない。

「選挙に投票しない」ということは、
どの政党も、及び、どの候補者も
「支持しない」ということではなくって、
自動的に、与党を
「支持している」ことと同じ、
ってゆうのもよく言われると思うけれども。

たとえば、そのようなストーリーも
考えられると思ったら、それは、
とても怖いことだなあと思うの。

与党を支持するにしても、
野党を支持するにしても、
与党を支持しないにしても、
野党を支持しないにしても、
ぼくは、ぼく自身の意志によって、
選挙に投票することができたら。。。

令和4年7月2日