はじめて訪れる「今日」という一日。
先日は、映画館にて
『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』
を観まして。その後、このブログでもね、
映画の感想のようなものを、
何度か書いていたのですが。
そして、昨日は、
映画『MONDAYS』のね、
監督・竹林亮さん、脚本・夏生さえりさん、の繋がりとして、
あさぎーにょさんのYouTube動画
『もう限界。無理。逃げ出したい。』を観ました〜。
ぼくはでも、この
『もう限界。無理。逃げ出したい。』
という動画のことは、
動画が公開されました2019年末のとき、
存じていたとは思うのですが、
なぜだかそのときは観ていなかった。
それはさ、おそらく、ぼくの性格上として、
けっこう保守的なじぶんとしては、
知らない物事を新しく知る、つまり、
知らなかった作品を新しく鑑賞する、
のようなことって、どうしても、
躊躇してしまう、というか、
敬遠してしまう、というか、
制限してしまう、というか、
すーっと入ってゆくことができなくって。
もしくは、この、YouTubeのサムネイルの
インパクトもあいまっているやもしれないのですが。
でも、今回、ようやく観てみると、
なるほどぉ、こういう内容だったのかぁー!
って思いながら、すばらしかったなあ。
なんだかでも思えば、ぼくとしては、
この今のタイミングで観ることができた、
というのが、よかった、
とも言えるやもしれないな。
映画『MONDAYS』では、
とある一週間がタイムループしている、
というストーリーでしたが、
Vlog短編映画『ハロー!ブランニューワールド!』
(動画タイトル「もう限界。無理。逃げ出したい。」)では、
あさぎーにょさんの
とある一日がタイムループしている、
というストーリーなのでして。つまりはさ、
前者の「一週間」と
後者の「一日」という、
タイムループする時間がちがっていて。
そのちがいというのは、たとえば、
会社員としての「一週間」と
個人としての「一日」という、
ちがいなのかなあ? とも感じながら、
とは言ってみても、どちらとも
タイムループしていることには変わりないので、
そのちがいとは、それほど、
重要なことではないやもしれないか。
Vlog短編映画『ハロー!ブランニューワールド!』では、
つらくて、たいへんで、とても不幸な一日を、
あさぎーにょさんが、
タイムループに巻き込まれながら、
はじめは、そのタイムループに
困惑したり、また、絶望したりしながら、
だんだん、その一日がよくなるように、と、
行動を変えてゆきながら、そして、
5000回の「今日」(つまり、13年間以上!)を経て、
最高の一日に成ったとき、
タイムループが終わりを遂げる。
そう考えてみれば、でも、
何度も、何度も、何度も、何度も、
何度も、タイムループを経て
「最高の一日」に成るのだともすれば、仮に、
タイムループをしていないぼくとしては、
はじめて訪れる「今日」という一日を、
「最高の一日」にすることはできるものか。
いや、それは、なかなか、
できないことなのだろう。反語的表現!
ならば、
はじめて訪れる「今日」という一日を、
はじめて訪れる「今週」という一週を、
はじめて訪れる「今生」という一生を、
どうしたら、すこしでも、
よい時間へと近づけることができるんだろう?!
1回目の今日だって、
5000回目の本日だって、
繰り返して、
塗りかえることができたら。。。
令和4年11月7日