見出し画像

無意識の中でプログラムされたかのごとく。

ことばについて考えるときに思うのは、
「言霊」のことだなあ。
「言霊」というものが、はたして
ほんとうにあるのかどうか?
ってえのはぼくはよくわからないけれども。
つまり、どんな願い事でも
ことばに出せば言霊となり、叶う、
みたいなことが必ず起きるわけでもないんだから。

逆を言うと、言霊的なことって
願いのような物事よりも、
呪いのような物事に対してのほうが、
より発動してしまうイメージもあって。

たとえば、ぱっと思い出すことで申すとすると
2022年公開の映画『THE FIRST SLAM DUNK』の冒頭にて、
幼少のころの宮城リョータが、兄のソータと
バスケの1on1をしていてリョータは初めて兄に勝利する。
その後、リョータが
「ソーちゃん、もう一回やろう!」と言い、ソータも
「おう、やるか!」と言うんだけれども、
友だちとの釣りの約束を忘れていたソータは、
友だちに誘われながら、そのまま
船に乗り海へと出てゆく。このときリョータは、
船の上のソータに対して、泣きながら
「もう、帰ってくるな!!!!」と口にして、
その後、ソータは海難事故に遭い亡くなる。

このシーンのことは、
リョータのことばによって、つまり
そのことばが言霊となって起きたかどうか、
というのはわからないけれど。
でも、このような言霊的なことって
ときに起こり得るんだとも思われる。
つまりはさ、あることばが
いわゆる「フラグ」となって、
その物事が発生してゆくかのごとく。
だからこそ、ぼくは、できうるならば
慎重になってことばを使えたい、と思う。

さらに申すとすると、
口に出して言ったことばによって、
もしくは、記したことばによって、
その人の人生が、それは
よくも、わるくも、だと思うけど、
作られてゆきながら、なおかつ
形成されてしまうんだとも思ったりもする。

つまり、
幼少のころ何気なく言ってしまって、
そして、そう言ったことばを本人は
忘れてしまっているような物事もまた、
今のじぶん自身を形成されている。

さらに映画『THE FIRST SLAM DUNK』のことで申せば、
ぼくなりの解釈で言うとすると、内容の
ねたばれで申しわけないんですが、
ストーリーの最後、山王戦の後に
リョータはアメリカでプレイしていて。
それはつまり、兄・ソータに対して
「もう、帰ってくるな!!!!」
と告げ、その後、帰ってこない兄のことを
海の向こうへ探しにゆくかのようにして、リョータは
海外へゆくことになったんではないか?!
というふうにも想像できる、とゆうか。

本人は、そんなふうには考えてないとしても
無意識の中でプログラムされたかのごとく、
人を駆動させる。つまり、
いつか言ったあることばが
その人の身体の中へと入り込みながら、
その人の人生を動かしてしまう。
そういうことだっても、おそらく
無くは無いとも思うのよね。

そして、ぼくもまた、
ぼく自身は忘れてしまっているけれど、
とあるときのことばによって、今、この身体が
動かされていることもあるやもしらないか。

令和6年10月24日