見出し画像

嘘偽りない人間自身の本音。

Mr.Childrenの最新アルバム『miss you』は、
昨年の10月発売なので、今月で
リリースより一年が経っている。
リリースの日からこれまでのあいだ、
折に触れてこのアルバムを聴いていて、
でも、音楽雑誌等では、作品に関する
メンバーのインタビューは行われていなくって、
なので、このアルバム作品の解釈みたいなことも
どう考えたらよいかあんまりわからないまま、
じぶんなりの解釈をしてゆきながら、考えながら、
過ごしていたようにも思うけれども。

アルバムのリリースに伴うライブとしては、
昨年9月から今年3月まで開催されたホールツアーは
チケット取れず、参加できなくって、
けれども、その後で行われることとなった
アリーナツアーは有難くもチケット当選いたしまして、
先日、訪れることができました。
そのような今回のライブでは、
アルバム『miss you』とは、
どのようなアルバムなのか? というのを
発見できる場なのだなあと思いながら、
ライブ参加をたのしみに感じていたの。

昨年、アルバムを初めて聴いたときの印象としては
暗くて、シリアスで、静かで、緊張感があって、
ネガティブな雰囲気も想っていた。
たとえば、アルバム1曲目の
『I MISS YOU』の最後の場面では、、

何が悲しくって
こんなん繰り返してる?
誰に聴いて欲しくて
こんな歌 歌ってる?
それが僕らしくて
殺したいくらい嫌いです

I MISS YOU/Mr.Children

‥‥と歌われながらアルバムがスタートして、
そして、そこから
『Are you sleeping well without me?』や
『LOST』や『Party is over』や『We have no time』という
ネガティブを意味するようなタイトルも散見されたり、
はたまた、これまでのミスチルのアルバムの中では
狂気的とも思われる曲が収録されていて、
今回のアルバムにおいて、その枠で言うとすると
『アート=神の見えざる手』なのだと存じますが、
この曲は、狂気的の度合いがかなり振り切られていて
なんだかとてつもなくこわい、と申しあげますか、
凄まじさをも感じられる。
さらに、アルバムのリードトラックとされる
『ケモノミチ』では、、

誰にSOSを送ろう
匿名で書いた 鈍い痛みを
眠れず独り目論もくろ
「仕返し」だけが希望
声もなく叫ぶよ

ケモノミチ/Mr.Children

‥‥とも歌われるような、
そんなアルバムなのだから。

でも、どことなく、次作は
こういうふうな雰囲気になるのではないか?!
というのは、リリースされる前のときから
想像していたふしもある。つまり、
たとえば、「彼岸生」つまりは
身内の死のようなことが表現されているとされる
前作アルバム『SOUNDTRACKS』及び、その後には
二枚のベストアルバム『Mr.Children 2011-2015』
『Mr.Children 2015-2021&NOW』がリリースされて、
後者の『2015-2021&NOW』には新曲の
『永遠』及び『生きろ』が収録され、また、30周年の
アニバーサリーライブでは、さらなる50周年へと向けた
「半世紀へのエントランス」というタイトルが掲げられて、
ともすれば、アルバム『SOUNDTRACKS』や
『永遠』や『生きろ』を経たこの次の作品では、
かつてのミスチルの音楽のような、キラキラしたかのような
ど派手な音楽ではないよなあ、とも思っていた。

そして、でも、その
ぼく自身の想像を超えるごとくの
シリアスなアルバムだったので、
驚いてしまったところもあるけれども。

一昨日のブログの中でね、アルバム『miss you』の解釈について
「ぼくなりの解釈で申すならば、じぶん自身が
『老いること』なのだと思っている」
と記したけど、さらに申せば、
「老いること」、そして、そこから
「生きること」なのだと思うのよね。
その雰囲気は、やっぱり、今回のライブの
セットリスト及び演奏からでも感じられて、
じぶんなりに考えたその解釈は、あながち
間違ってなかったやもしらない、
とも思えてうれしかったな。

齢を取るにつれては、身体も
若いころのようには動けなくなるのだろうし、
そのときには、当然、ネガティブな気持ちも
生まれてきてしまうものだろう、
というふうには、ぼくは現在
42歳の若輩者ながら想像をするのですが。

ともすれば、Mr.Childrenの最新アルバム
『miss you』とは、そのような
老いながら生きてゆくことに対する、
嘘偽りない人間自身の本音が、隠されることなく
表現されているんじゃあないかなあ、
というふうにも思えてくる。
そのアルバムの音楽の感じがね、やはり
すごくって、かつ、かっこいいと思うし、
そして、ライブもすごかったなあ。

それ以上の解釈については、今はまだ
うまく言えないんですが、
そのような音楽を胸に秘めながら、
ぼくもまた、これからの日々を生きてゆけたら、
ってゆうのは一昨日のブログでも申したけれども、
何度だってもそう思えたいんだなあ〜。

令和6年10月17日