気分はもう21世紀人。
先日放映の『Eテレ プレーバック』では、
1984年6月9日に放送されました
『YOU』のアンコール放送、および、
放送当時を、現在から振り返る。
という内容だったのですが、
おもしろかったなあー。
糸井重里さんが司会をされていた
『YOU』という番組のこと、
1982年生まれのぼくは、
リアルタイムでは観たことなくって。
たまにね、こうして再放送される
アンコール番組でしか触れたことはないのですが。
現在、糸井さんが主宰されている
『ほぼ日刊イトイ新聞』にも
通ずるようにも感じられるし。たぶん、
ぼくが当時若者だったとしたらば、
毎週、たのしみに観ていたような気がするー。
今回アンコール放送の『YOU』では、
「特集 100回記念 気分はもう21世紀人」
という企画で、糸井さんや、
当時若手注目株と言われたゲストの方々が、
来たる21世紀について、展望を語る。
という内容だったのですが。
ここでお話しされていること、
現在の21世紀を、
かんぜんに言い表しているじゃん。
と、番組を観ながら感じたのよね。
たとえば、ひとびとの好みが
「細分化」している。
というのはさ。もう、今では、
完全にそうなっていて。
映像でも、テレビだけでなくって、
YouTubeや、Netflix等の
定額制動画配信サービスや、また
インスタグラム等のSNSでも個人個人で生配信されたり、
はたまた、音楽ライブが生中継されたり、
というように、
番組が無数にあって。
その日の、その時間に、何を観るか? が、
完全に細分化されている。
ゲストで登場された坂本龍一さんが、
「80年代に入って、
過去から未来に続く一直線の太い道は
だんだん見えなくなった。」
「音楽でも、そういう状況で、
これをやったから新しいとか古いとか、全くない。
だから、それぞれ勝手な時間を生きてて、
全体で、時間を
風呂敷で包んでいるような状況だと思う。」
とおっしゃっているのですが。
「時間を風呂敷で包んでいる」とは、
むつかしい表現ではあるけれども、
でも、なんとなく、わかるような気もするかな。
先述いたしましたが1982年生まれのぼくは、
早生まれですので、
88年4月小学校入学なんですが。
たとえば、翌年89年1月、
昭和天皇崩御のときのことは、
かなり記憶に残っている。
テレビ放映の自粛により、
ひとびとがレンタルビデオ店へと殺到して、
お店の在庫すべてが貸出中。というのも、
憶えがあるですが。
そして、ぼくとしては、
子ども向け以外のことでは申せば、たとえば、
80年代後半では光GENJI、そして、
90年、KANさんの『愛は勝つ』や、
91年、槇原敬之さんの『どんなときも。』を、
幼稚園や小学校低学年ながら、
よく耳にしていたのですが。
90年代半ば、ぼくが中学生のころには、
ぼくは、小室哲哉さんプロデュースの
音楽を大好きで聴いていて。
でも当時、CDは爆発的に売れていたとしても、
その音楽を、国民全員のすべての世代が聴いていた、
というふうではなかったはずで。
つまりはさ、
「細分化」が進んでいた。
たぶん、おそらくは、
こういう状況というのが、
この『YOU』の番組で聞くところによれば、
1980年代初頭から始まっていたのかもしれないな。
そんなふうにして、
それ以来、ずっと、
その状態が続きながら、
時間が「風呂敷」で包まれながら
進んでいるのかもしれないなあ。
中沢新一さんが、
「いろんな意味でメジャーってのが
なくなってきてるでしょ。」
とおっしゃったあと、糸井さんが
「モノサシっていう意味でも、メジャーはないね。」
と言われていて。
それも、なんだか印象的だったなあ。
「メジャー」とか「マイナー」とか、
という区分も、今では、
あんまり言われないだろうし。
また、糸井さんの
「モノサシ」のことで言えば、
ゲーム『MOTHER2』の中で、
プレイ中とくに使い道がないアイテム
「ものさし」と「ぶんどき」のことを思い出したの。
冒険中や、バトル中に、
ものさしやぶんどきで、
もののながさやかくどをはかったとしても、
もののながさやかくどがわかるだけで、
とくに、いみはない。
持っていても、アイテム欄が、
逼迫するだけなのだ。
令和3年2月26日