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コンサドーレと一ファンの人生の交わり
この記事は北海道コンサドーレ札幌アドベントカレンダー2024に参加しています。
はじめまして。北海道コンサドーレ札幌を愛するしがない一ファンです。クラブを応援することは自分の人生において「趣味」にすぎないのだけど、時に思わぬ方向から人生に影響を及ぼすこともある、という話です。自分の頭の整理も兼ねて書いてみます。
昨日かなり重ためのニュースがありましたので、どうか皆さまの心が軽い時間に、暇つぶしとしてお読みいただければ幸いです。
コンサドーレとの出会いと関わり方の変遷
コンサドーレをいつから応援してるのか?と問われると実は説明が難しい。
創設の頃から子供ながらに経緯は追っていた
初期は親に連れられて厚別(たまに室蘭)に行っていた
自分の意志でホームゲーム皆勤くらいの温度感になったのは、岡田さん就任シーズンから
おおよそこんな感じである。
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最も熱く応援した時期が2000年から2003年頃というのは間違いなくて、この間に初めてアウェイ遠征もして、その楽しさも知った。
一方、これ以降はちょうど自分にライフイベントが相次いで起こり、端的にいうと札幌を離れ(戻ってた時期もある)、一番遠いところだと沖縄で暮らしていた。加えて2008年、ヴィジュアル系バンドのライブに熱心に通う「バンギャ」という職業(違う)にうっかり復帰してしまったゆえ、試合の現地応援からは遠ざかっていた。
それでもコンサドーレはずっと心にあり、興味関心がゼロになったことは一度もない。家族はずっと札幌に住んでいたので、ホームゲームのたびに喜びもしくは罵詈雑言のメールやLINEが届くのが、ある意味リマインダーになっていた。
自分ではあまり覚えていないのだけど、この頃も帰省時などは厚別やドームに行ってたようで、iPhoneのカメラロールには案外写真が残ってた。
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引き戻されたきっかけ-ミシャ、そしてルヴァンカップ決勝
戦績を頭の片隅で気にするくらいの距離感だったコンサドーレに、自分から再び引き寄せられたきっかけは、ミシャさんことミハイロ・ペトロヴィッチ監督の就任。
イビチャ・オシム監督のサッカーに衝撃を覚えた自分は、一時期相当数ジェフの試合を見に行っていた。2005年のナビスコカップ(当時)決勝やフクアリの柿落としも現地で観戦した。そのオシムさんの下で指導者となったミシャ。広島や浦和で愛されてきたミシャ。残留を決めた後に新しい監督を招聘することへの疑念よりも「ミシャがコンサの監督?マジで?」という驚きと喜びが勝っていた。(なお、四方田さんは今でも大好きで尊敬している監督です。来年J1で頑張ってほしい。)
2018年の躍進は主にDAZNで追いかけ、2019年は開幕戦アウェイ湘南戦に足を運んで少々毒づいたりしたのだが、その後、ルヴァンカップ決勝進出というクラブ史に残る出来事に直面する。
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決勝の日。埼スタに向かうと、看板や配布されるパンフレットに「決勝」と「北海道コンサドーレ札幌」という文字が並んでいる。突然に現れた信じられない光景。選手が入場してきた瞬間から涙が止まらなくなったが、その時点で私は負けていた。クラブが苦しい時期に支え続け、この日も声を枯らして選手を鼓舞し続けた人たちとは、同じ土俵に立てていなかった。
試合後は虚無感とともに、自分のここ数年間のクラブとの向き合い方を悔いた。
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コロナ禍による働き方の変化と故郷への思い
もっと現地に赴こうと意気込んで迎えた2020年、世の中に感染症が蔓延したことで生活が一変。自分の勤務先は外資系ということもあり、それはもう、もの凄いスピードでオフィス出社が禁止され、リモート勤務の体制が整備され、ほとんど人に会わない生活が続いた。こうなると必然的にこんな思いが頭を占める。「私はなんで東京にいるんだろう?」
2017年以降はずっと東京に住んでいたので、友達も増えたし、会社にも仕事にも大きな不満はない。それでも北海道に帰りたい、札幌で暮らしたいという思いがどんどん強くなった。年齢的にも節目を迎えていたので、これからの人生どうしようかと悩んでいた。
2020年J1最終節、アウェイ浦和戦。久しぶりの埼スタで、石川直樹さんと早坂さんの現役ラストゲームを勝利で送り出すことができた。あの日のビジターゾーンで、埼玉にいながら強烈に故郷を感じた時、私の札幌に帰りたい熱に火がついた。翌年の開幕戦をドームで見て完全に腹が決まった。
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札幌に戻るためには職種を変えるか、転職しかないと思っていたが、所属を変えないまま札幌でフルリモートで勤務できることとなった。タイミングが良かったこともあるが、サポートしてくれた勤務先の上司たちや同僚には感謝しかない。
2021年アウェイ名古屋戦に遠征した翌日、オンライン内見をして物件を決め、悪夢の神戸戦の翌日に契約手続きを済ませ、厚別での仙台戦の日に東京を離れた。(前の日友達と飲みすぎて寝坊して試合は両国のIrish Pub Scéal eileさんで観てから空港に向かったというオチつき。
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コンサドーレが後押ししてくれた現在と未来
全国どこにいても、世界のどこにいても、コンサドーレの応援はできる。そしてそれを爆裂に実践されている方々がたくさんいらっしゃる。私はただ札幌に帰って、故郷で生活したかった。仕事のことを考えると最初に諦めがちだったこの気持ちを、コンサドーレというクラブとの関わりが後押ししてくれた。
札幌に戻ってきてもうすぐ丸4年。もちろん色々むずかしいこともあるけど、結果的に人生の幸福度は上がっている。今朝も凄まじく寒いけど、こうやって四季をはっきり感じられるのもこの街の魅力だ。そんなこの街の象徴としてクラブが存在するかぎり、どのカテゴリーだろうが、強かろうが弱かろうが、心はともに在りたいと思う。
今日は今シーズン最後の日。望む結果ではない1年だったし、昨日のリリースのこともあるし、何よりミシャとお別れをしなければと思うと、足取りは重い。それでもあと1時間後にはドニチカきっぷを買って、地下鉄に乗ってドームに向かおう。東豊線に乗れば、たとえ今日であってもホームスタジアムに向かう高揚感は感じられるはず。
では、大和ハウスプレミストドームでお会いしましょう。