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居るはずの場所に居ない
初盆が終わったと思ったら、自分の研修の最終課題がありバタバタと過ごしていました。
夫が夏休みのために帰ってきていたのだけど、息子が風邪を引き、その風邪をまんまと移されてしまい最終的に点滴を2本打って課題(試験)に臨みました。丸一日、夫のサポートもあり何とかこなせました。
今週一週間は、何も予定を入れずに体調のメンテナンスと来週からの長旅に備えています。
なんだか、8月に入ってから気持ちがぼんやりしていて、寂しいのか、悲しいのか、落ち込んだような状態で体調も万全ではありませんでした。
頭の中に母の死んだ日、亡くなった病室、兄の言葉、母の手の冷たさ、あの瞬間がリフレインして、気が付くとぐるぐる考えているのです。
フラッシュバックみたいなものなのかな。
初盆が近づいてくると落ち着かず、実家に帰っても
「母が居るはずの場所に居ないこと」
それがただただ悲しかった。
息子が玄関に飾られた母と自分の写真を見つけて、
「ばあば」と指さしていました。
取ってやると「ばあば」と母を指し、「たんたん(自分のことをそう呼ぶ)」と自分を指す。
それから、気が付いたように「ばあば、どこ?」と探しに行き、いつもの部屋にいないことが分かると戻ってきて「ばあば、いないね。」と言っていました。思わず、抱きしめて「ばあば、いないね。ばあば、死んじゃったんだよ。ばあば、会いたいね。」と言って泣きました。
私は、本当は子どもみたいにえんえん泣いて、「お母さん、会いたいよう」と泣きたかったんじゃないかな。
色々、しんどいことが重なって、「なんでお母さん死んじゃったの」「肝心なときにいないなんて」「助けてよ」と思っていた。
初盆のための実家の片付けで、もともと溜め込む母の性格にイライラして、だんだん感情が「怒り」のようなものに変化していったけど、怒りは本当の気持ちを隠す感情。本当は、泣きたかったし、寂しかった。
お母さんが居なくて、居るはずだった場所に行っても、もう絶対会えなくて、それが信じたくない現実でした。
息子に対して言った言葉は、誰かに言ってほしかった言葉かもしれません。
「お母さん、会いたいね。」って。
今頃、しっかりしなさいよって言ってるのかなぁ。
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