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三服文学賞応募作品 茶碗の話

「茶碗だけは妥協したくない。茶碗は一日三食必ず持つものだから」
 それがおばあちゃんの持論だった。
 パンや麺類を食べる場合は茶碗は使わない。それでも一年のうち四百回は茶碗を持つ気がする。計ったわけじゃないし根拠はないけれど。
 両手でぬるま湯を掬い、顔を洗っていたときだった。不意にこの手の器にぴったり合う茶碗が欲しいと思った。この大きさがちょうどいいご飯の量だと思った。やっぱり根拠はないけれど。
 その日から自分の手にぴったりはまる茶碗を探すようになった。
 当初は近場のショッピングモールを一通り回れば見つかると考えていた。ところが一つも見つからない。良さそうだと思って持っても手に馴染まない。どれもしっくり来ない。
 仕事帰りに駅ビルの雑貨屋に寄ってみた。休みの日には作陶で有名な町に出かけて探した。それでもちょうどいい茶碗は見つからない。
「そんなにこだわるなら、いっそ自分で作っちゃえば」
 悪友に嘆いたのが間違いだった。
「私が壊滅的に手先が不器用なの知ってて言ってるよね」
「当たり前じゃん。でも自分の手に合うのが欲しいなら自作が最善だとは思う」
 悪友の返事を聞いていて思いついた。自作は無理でも作家物を買うのならアリかも知れない。
 さっそく作家物の器を扱う店を調べ始めた。乗り換えに利用している駅のすぐ側にイートインで使っている器と同じ物が買える店があると判明した。
 午前11時、開店すぐの店に入る。店員さんはメニュー表を見せながら説明してくれた。
「当店ではお食事の器をお客様が選べるんですよ。メインのお皿と小鉢とお茶碗、全て同じ作家さんで揃えるのもいいですし、色でコーディネートするのも楽しいですよ」
 茶碗だけで30個以上ある。どれも見た目は白飯が似合いそうな素敵な茶碗だ。
 端から一つ一つ持ってみる。軽いのもあれば心地よい重みを感じるものもある。その中で一つだけ突出してしっくり来る茶碗があった。青白い釉薬がまろやかに施された、大き過ぎず小さ過ぎないぴったりの茶碗。
「そのお茶碗、お気に召されましたね」
 店員さんは確信ありげに笑みを浮かべる。
「こういう店をやっていると分かるんですよ。運命の器に巡り会えたんだなって」
「バレちゃうものなんですね……」
「ええ。バレバレです。よろしければお皿と小鉢も同じ作家さんで揃えましょうか」
「お願いします!」
 しっくり来た茶碗に盛られた白米は今まで食べたどんなご飯よりもおいしかった。
 もちろんその作家の茶碗を買った。茶碗には作家の名刺が添えられていた。
 家に帰ったら作家の連絡先に感想を送ろう。こんなに自分にぴったりの茶碗を作る人には長く作り続けて欲しい。

ぬるま湯を掬うかたちの両の手にぴったりはまる茶碗が欲しい

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